家族が突然がんと診断されたら、私たちはどうすればいいのだろう。冷静でいられるだろうか。

 難治がんといわれる膵臓がんと闘った新聞記者・野上祐さんの著書『書かずに死ねるか――難治がんの記者がそれでも伝えたいこと』には、野上さんの“配偶者”による手記が収められている。家族として全力で病に向き合うなかでの戸惑い、葛藤、そして信念がうかがえる。

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 夫の野上が膵臓がんと診断されて、私自身も変わったことがあります。野上といる時間を第一に考えると、おのずと仕事にかけられる時間が限られてくるため、優先順位をつけて大事じゃないことはやらないというふうに割り切るようになりました。でも同時に、常に「明日突然休むかもしれない」という状態なので、先々までのことを考えて仕事をしたり、周囲と情報共有をして私がいなくても仕事が回るようお願いしておきました。

 本人が動けないぶん、私が膵臓がんの勉強会に行ったり情報収集をしたり、彼の手足となって行動しました。いま現在行われているものだけでなく、まだ研究段階にある治療法も情報収集しています。がん患者にとって次の治療法がなくなるというのは、すごくショックなことです。そんな事態に直面しないためにも、勉強しておきたい。これは私自身の精神衛生を保つためでもありますね。

 勉強したことをまとめて、野上に伝え、それを元に話し合って……という具合に役割分担しながら一緒にやってきたので、治療方法や闘病生活においてお互いに意見が合わないということはあまりないです。

 それでも、すごく不安になるときはあります。本当なら本人よりも家族のほうが落ち着いていなければいけないと思うのですが、わーどうしよう、どうしようと不安に駆られるときがあるんです。そんなとき私が相談する相手は、やっぱり野上本人なんですよね。本人は医師にも「達観していますね」といわれたぐらい自分のことを客観的に見ているので、落ち着いているのです。ひょうひょうとしているといっていいぐらい。だから「私、不安なんだけど、どうしたらいい?」と相談する相手は、いつも野上。適切なアドバイスをくれるし、入院しているときでも「いつでも電話してきていいよ」といってくれます。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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