その特異なキャラクターを買われて、瀧はバラエティ番組にも進出した。そこでも芸人やタレントと対等に渡り合い、独自のセンスを見せつけた。一時期、低予算の深夜番組に瀧がよく起用されているのを見ていた。そこでの彼はバカバカしいことでやたらと笑っていた。それは多くの視聴者には「瀧が笑っているんだからこれは面白いものなんだ」というふうに受け取れた。そのぐらいピエール瀧には絶対的な信頼があった。

 それは、彼を重用していたテレビマンたちも同じように思っていたことだと思う。大げさに言えば、ピエール瀧は1つのブランドであり、笑いの価値基準だった。瀧が笑うものが面白いものである、という風潮すらあった。

 俳優業に進出すると、何を考えているか分からないそのたたずまいが魅力的に作用した。電気グルーヴにおいても瀧はある意味で「役者」だった。初期の頃には演歌歌手「瀧勝」としてCDデビューしたこともあったし、ライブでは毎回趣向を凝らしたコスプレを披露していた。何者でもないからこそ、何者にでもなりきることができた。せせこましい自我や余分なこだわりを持たない「空っぽの大きな器」である瀧には、俳優業が向いていた。いわば、俳優業も広い意味で「ふざける」という彼の行動原理の延長線上にあったのだと思う。

 歳をとってからもふざけ続けることは大変だ。もちろん、音楽活動でも芸能活動でも、人前でふざけているように見えても、裏では真剣に取り組んでいたのだろう。だが、そういう裏の顔を感じさせないほど、瀧はふざけることのプロだった。そこを多くの人が信頼していた。

 そんな瀧が、法を踏み外し、人々から笑顔を奪う行為に手を染めた疑いが持たれている。この事実は重い。大人になっても、おじさんになっても、ずっとふざけて生きていけばいいじゃん。そんな理念を体現していた瀧が、こういう状況に陥ったことに驚きを感じた。

 私の中では瀧はいつまでも「面白い近所の兄貴」みたいなイメージだったのだが、今回のことで音楽、映画、ドラマ、バラエティ、ラジオ、CM、ゲームソフトなど多くのジャンルで公演中止や発売中止などの措置が取られているというニュースを見るにつけ、ピエール瀧が積み上げてきたものの大きさを実感する。

 報道では彼のことが「俳優のピエール瀧容疑者」と紹介されていた。もはや「ミュージシャン」ではなく「俳優」と呼ばれるようになったのか、というのも感慨深いものがあるが、自由に生きる彼には本来は肩書など必要なかった。どんな分野でも「ピエール瀧」として生きていけば良かった人間なのだ。

 生涯ふざけ通してきた男に「容疑者」という肩書は似合わない。ピエール瀧のような人間に憧れて「ラリー遠田」を名乗っている私は切実にそう思う。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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