志ん生は、人間の見た目を端的に言い表すような「あだ名芸」も得意だったと言われている。人の見た目を何かに例えるのは、たけしはもちろん、明石家さんま、有吉弘行など、今でも多くの芸人がやっていることだ。志ん生にはそういう鋭い言語感覚があった。
たけしはデビュー当初から、その芸風や話し方が「志ん生に似ている」と言われることが多かった。たけし自身はそれは母親の影響ではないかと語っている。たけしの母は志ん生が大好きで、話し方もそっくりだった。そのせいでたけしの話し方も志ん生に近づいていたというのだ。
また、たけしの両親は、落語に出てくるような夫婦にそっくりだった。志ん生の代表作でもある『火焔太鼓』には、いい加減でお調子者の道具屋の夫と、それをたしなめるしっかり者の妻が出てくる。たけしの両親もこれと同じ関係性だったという。
江戸っ子のたけしはそんな両親のもとで生まれ育ち、自然な形で「落語」や「志ん生」に触れて、そのエッセンスを吸収してきた。それが漫才師になってからの芸風にも反映されている。
志ん生は「酒に溺れて貧乏暮らしだった」というイメージがある。だが、たけしはこれに疑問を呈する。芸人でも酒で身を持ち崩す人はいるのだが、そういう人はどんどん芸が荒れていってしまうものだ。ところが、酒浸りの生活をしているはずの志ん生には最後までそんな様子が見られなかった。それは、彼がどこかで自分を客観的に見ていて、本当の意味では酒に溺れていなかったからではないか。
そして、たけし自身もそういうタイプの人間だった。どんなに酒や女に溺れようとしても、どこか冷めている自分がいる。自分を見下ろすもう1人の自分がいて、それをなかなか振り切ることができない。たけしはその点でも志ん生に親近感を感じている。
最近のたけしは「立川梅春(たてかわばいしゅん)」という高座名でライブに出演して、落語を演じることがある。自分の笑いの原点である落語に回帰する動きを見せているのだ。『いだてん』で志ん生を演じているのもその一環である。落語にも造詣の深い宮藤官九郎が、たけしが演じる志ん生をどういう形で物語に絡ませていくのかというのもこれからの見どころである。(ラリー遠田)
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