「立ち話ですよ。『東京でオリンピックをやったら』と話しかけたのですが、石原さんはぽかーんとしていた。ピンと来ていなかったですね」
石原は「二度目の夏季オリンピック」に無関心だったが、その後、急速に招致に傾斜した。JOCの関係者が、東京で、と働きかけても何の関心も示さなかった石原が急にその気になった。中森が言う。
「都知事特別秘書の高井英樹さんをよく知っていたので、頼んだら、石原さんを説得してくれた」
上杉隆の執筆記事「東京五輪を献策した男 秘話 石原慎太郎は『面白い』と即断した」(『文藝春秋』13年11月号所収)によれば、高井は記事の中でこう述べている。
「私は都の職員たちと、石原知事に『オリンピックを東京でやるというのはどうでしょうか』と切り出しました。知事は勘の鋭い人です。当然ピンときたのでしょう。その場で、『面白いじゃないか』という返事でした。東京が手を上げなければ、日本のオリンピズムが危うくなる。一種の国家的使命も感じたのでしょう」
それだけでなく、石原は知事在任中のオリンピック実現という「政治家としての実績」を意識したに違いない。
中森が一言、実感を漏らした。
「福岡が手を挙げなければ、多分、東京の立候補はなかったのでは、と思いますね」
オリンピック開催の候補都市は一国一つである。IOC総会での投票の前に、一都市に絞る国内選考の関門を通過しなければならない。JOC側には、東京をその気にさせるには、福岡の立候補が効果的という計算があったに違いない。
石原の所信表明の2日後、山崎も同じく福岡市議会で立候補を宣言した。福岡と東京の競争となった。
2006年3月4日、福岡市が招致推進委員会を設置する。東京都も4月1日に都庁内に招致本部を設けた。福岡は4月24日、東京は28日に立候補意思表明書をJOCに提出する。6月30日、石原と山崎が東京の岸記念体育会館で竹田にそれぞれ「開催概要計画書」を手渡した。