藪への“顔ゆがめたる”宣言の余韻も冷めやらぬ翌99年、今度は4月14日の広島戦(東京ドーム)で危険球騒動が勃発する。
4対3と巨人が1点リードの8回、先頭打者として打席に入った清原に対し、この回からマウンドに上がった3番手・小林敦司の2球目が頭部を直撃した。
尻餅をつくようにして転倒した清原は、むっくり起き上がると、ギョロリと目を剥いて小林をにらみつけ、マウンドへと詰め寄る。この日は3回にも杉山直輝が黒田博樹から頭部死球を受けたとあって、ベンチから両軍ナインが飛び出し、一触即発のムードに。だが、幸い大事には至らなかった。
直後、小林は打者1人で危険球退場となり、清原はそのまま一塁に歩いたが、この危険球を境になぜか勝利の女神は一転広島へ。9回に追いつかれた巨人は延長10回、三沢興一が金本知憲、江藤智の2ラン2発を被弾し、4対8と逆転負け。最下位に転落した……。そんな悔しさも輪をかけてか、試合後も清原は怒り心頭。
「(巨人投手陣)こっちが行かんから、何遍でも来る。もっと厳しいところを攻めてほしいかって?それはオレが決めることやない。コーチが決めることや」
ちなみに危険球退場となった小林は、現役引退後、5年間のパティシエ修行の末、東京・代官山に「2‐3(ツースリー)Cafe Dining」をオープンさせ、テレビ番組の企画で客として来店した清原との再会が実現。自慢のチーズケーキを試食した清原は「コントロールは悪かったけど、味のコントロールは抜群」の賛辞を贈っている。
小林の危険球騒動以上にインパクトがあったのが、05年5月11日のオリックス戦(東京ドーム)で、山口和男から受けた頭部死球だった。
オリックスに2点を勝ち越された直後の延長11回裏、1死から小久保裕紀の左中間ソロで1点差に追い上げた直後、打席に入った清原に対し、山口の2球目、147キロ直球がヘルメットを直撃した。