ヘルメットは、西武時代に頭のサイズに合うものがなかったため、野村克也が使用していたものを巨人移籍後も黒く塗り替えて使いつづけていたが、その塗装が飛び散るほどの衝撃だった。
もんどりうって倒れ込んだ清原は、すぐさま起き上がると、鬼の形相で山口をにらみつけた。そして、ヘルメットのつばを右手でつかんで叩きつけると、「謝れ!こっちに来て謝れ!」と言いながら、マウンドに向かって1、2歩にじり寄った。
直後、ベンチから飛び出してきたタフィ・ローズに制止されると、怒りをこらえて一塁に向かったが、この死球が巨人ナインの闘志を奮い立たせた。
阿部慎之助の安打で一、二塁とチャンスを広げると、堀田一郎が左前に同点タイムリー。4対4の引き分けに持ち込んだのだ。
「清原の死球で流れが変わった。死球があったから、みんな燃えていたんじゃないかな。本当は勝ちたかった」と堀内恒夫監督。
一方、オリックス・仰木彬監督は「大変な試合にしてしまった。山口はああいう状況で球が抜けたのはわかるけど、我々にとっても痛く、キヨにも痛い思いをさせてしまった」と反省し、試合後、自ら巨人ベンチを訪れて清原に謝罪した。
仰木監督はSA就任後の同年12月15日、肺がんによる呼吸不全のため死去するが、直後、巨人を自由契約になった清原は、生前のラブコールに応える形でオリックスに移籍入団。これも危険球が結びつけたご縁と言えるかもしれない。
●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2018」上・下巻(野球文明叢書)。