「朝、寒いから学校行かへん。男子はマフラー禁止なんですよ。詰め襟があるから、それで防寒になる? 何の意味もないんですよ」

 髪に整髪料をつけてはダメという校則。なんであかんの。寝ぐせだらけ、頭ボサボサで行くのがマナーなん? 先生に問い詰めても、答えはない。しまいには「学校は規則を学ぶための練習をする場だ」と言いくるめる先生もいた。ブラスは言う。

「法律は従わないといけないけれど、納得いかないルールに従うのは、独裁政権に従う練習みたいなもの。疑問を持つのは絶対に必要だと思った」

 同時にこのころ、パソコンに触れるうち、自らと似た性的指向を持つ人々が、想像よりも多く存在することを知った。高校3年生で、「ニコニコ生放送」の配信を始める。きっかけは、やはり性的マイノリティーの人たちが自由に発信している姿を見て、解放感に憧れたからだ。

 反響が多かったのは、包丁も握ったことのないブラスが料理を作るライブ配信。圧力鍋の使い方もわからぬまま調理し、鍋から蒸気が噴き出した。

「なんか、おもろいことしなきゃ」

 視聴者が増えるにつれ焦燥を抱いた、ある日。

「おもんない」。その一言が画面を流れていった。次の瞬間、画面に流れるすべての感想の声が批判に見える錯覚に陥った。ブラスは振り返る。

「本当は、応援コメントがほとんどだったのに、少数派の声にとらわれてしまった」

■IT関連企業で働きつつコラム執筆を引き受けた

 ただ、高2からブラスの親友の男性はこう語る。

「ブラスは意見をしっかり持っていて、他人に安易に合わせない。だから、尊重し合える」

 そんな親友が忘れられないエピソードがある。それはふたりが高3のときのこと。

「卒業アルバムに写真を載せないでくれ」

 ブラスは教師に、そう直談判したという。学校では初めてのケースで、職員会議では議論の末、掲載が見送られた。ブラスは笑って振り返る。

「有名になると思っていたし、きっと整形手術をすると思っていたからイヤやった。バレたくないという『中二病』。結果的に整形していないけど」

 20歳を直前にブラスは東京に移り、中野のIT関連企業に勤める。その傍ら、「ニコ生」時代から彼のタレント性に気付いていた知人に誘われ、コラム執筆の仕事を引き受けた。

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