正義を振りかざすのは窮屈だ。「グレーゾーンを広げ、もっと寛容な社会に」。取材中、彼は何度もそう語った(撮影/松永卓也)
正義を振りかざすのは窮屈だ。「グレーゾーンを広げ、もっと寛容な社会に」。取材中、彼は何度もそう語った(撮影/松永卓也)

 タレント・コラムニスト、小原ブラス。この1年、ロシア出身のタレントとして何をしても批判され、それを上回る応援の言葉も受けてきた。日本で育ったロシア人は、何を発言したらいいのか。苦悩し、熟考し、たどりついた思いがある。ロシア、関西人、性的少数者。そんなくくりは超越し、自分だけの視点と言葉で発信を続ける。

【写真】本番前の楽屋での小原ブラスさん

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 2022年2月24日、朝。小原(こばら)ブラス(30)は、ウクライナの首都・キーウの空港が爆撃される光景をテレビで見ていた。故国・ロシアが同国を侵攻するのでは、との危惧は、以前からささやかれていた。ウクライナの知人に連絡を試みるも情報は錯綜(さくそう)し、状況は何一つわからなかった。

 ここ4年、テレビや活字媒体、動画で活躍の場を広げてきた。思いきり外国人の見た目で関西ことばを話し、男性として男性を愛する。「めんどくさい、ひねくれ者」というキャラクターを活(い)かした口調、筆致で人気を博している。SNSを駆使する彼の端末には、この日、おびただしい数のダイレクトメッセージが届いた。

「お前はロシア人として、事態をどう思うんだ?」

 この蛮行について発言することが、どれほどの波紋を広げるのか見当もつかない。でも、黙ってはいられない。ブラスは、緊急の動画を撮影した。いつもの快活な表情は一切浮かべず、プーチンの行動への異議の声を上げた。瞬く間に視聴は広がり、約145万回(23年2月現在)再生を記録した。いま、ロシアは日本を非友好国と位置づけ、日本はロシアを渡航中止勧告に。高い国境を隔て、ブラスはメディアから言葉を求められる存在になった。ときに攻撃的な目や声にさらされ、心をすり減らしながらも発言を続けている。

 1991年12月、ソビエト連邦崩壊の瞬間、ブラスは母親の胎内にいた。極東の都・ハバロフスクで産声を上げたのは翌年4月だ。

「崩壊直後の街は、アルコール中毒の人にあふれ、治安も悪かった。『つねに親の手を持っときなさい』って。すごく覚えている」

 社会主義が資本主義へと変わる過程で新興財閥が支配し、石油を独占するようになった。国民は貧乏を強いられ続けた。そこに現れたのがプーチンだった。彼は新興財閥の人物を逮捕・国外追放した。どんなに強権だろうと治安を維持する彼ならば、と支持の輪が広がった。

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