中学時代はマンガやゲームに夢中になった。高校では漫研に入り、小林じんこの『風呂上がりの夜空に』にハマった。 

 栗原家は「母・弟」と「父・自分」で分かれると栗原はいう。栗原と父は激情型でせっかち。母と弟は冷静なおっとり型。思春期はタイプの似た父と激しいケンカもしたが、1時間後には仲直り。ファッションの趣味も合い、服も2人でよく買いに行った。いっぽうで母との衝突はなかった。

「だって、あの母ですよ? 穏やか~じゃないですか」と笑う。メディアにみせる顔そのままに母はやさしく、家では上げ膳据え膳。おいしいご飯を食べ、洗濯物は畳んで部屋の前に置いてあった。

 高校の三者面談で教師から「出席日数が足りず進級が危ない」と言われ、母を泣かせてしまったことも苦い思い出だ。卒業後、服飾専門学校に進学するも1年で辞めた。やりたいことも、目指す道も、まったくわからなかった。

「いま考えてもちょっと子どもすぎましたね。何も考えていなかった」

 ファッション誌のライターやPRの仕事など、20代は与えられた仕事やチャンスをなんでも試した。ロンドンに半年の語学留学もした。帰国後、アパレル会社でPRの仕事をしていたとき、思わぬ誘いで料理家への道が開く。ゴルフ仲間の一人が自身の手がける小冊子の料理ページを担当してみないかと持ちかけたのだ。

「栗原はるみの娘だし、トモならできるはずだからいいじゃん?みたいな感じだった」

 ええ?と思ったが、ちょうど料理を好きになりだしていた時期でもあった。きっかけはロンドン留学。初めて実家を離れて料理をし、友人に振る舞う楽しさを知ったのだ。

 家に帰って母に「どう思う?」と聞いた。母は「すごくいいと思う。やってみなよ」。続く一言が、背中を押した。

「トモは料理、上手だよ」

 その言葉で「やってみよう」と決めた。

「自分は普通の人よりも、料理家になるチャンスがあった。この七光りをどう生かすかはもう自分次第なわけです」

(文中敬称略)(文・中村千晶)

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