夫も美学者。美学者同士だからこそ、仕事の展開を評価されるとうれしい(撮影/今村拓馬)
夫も美学者。美学者同士だからこそ、仕事の展開を評価されるとうれしい(撮影/今村拓馬)

 美学者・東京工業大学教授、伊藤亜紗。目が見えない、耳が聞こえない、しゃべるときにどもる、幻肢が痛む……。自分の体なのに、ときに体がままならない。伊藤亜紗は、それぞれの体が持つ「固有性」や詳細を聞き取り、それを抱える人々の悲喜こもごもや、生きるための工夫を記してきた。体は理由がないことをする。説明できないこともたくさんある。そこを理解し、言語化していきたいと伊藤は考える。

*  *  *

 全盲の男性がハンバーグとポテトサラダを調理している。刻み方やこね方に無駄がない。付け合わせの野菜は自動水切り器で水を切る。慣れた手つきで洗い物も並行しておこない、所定の位置に調理器具を収納する。午後の早い時間だったが、部屋の照明はつけていなかった。男性は「あ、(照明を)つけましょうね。いつもこのままだから」と微笑(ほほえ)んで照明のスイッチを押した。

「塩の分量は音で判断しているんですか」

 伊藤亜紗(いとうあさ)(42)が男性に聞いた。

「計量スプーンに入れてゆすってますね」

 そう答える男性を伊藤がスマホで撮影しながらじっと手元を観察している。ハンバーグをこねる男性に再び問う。

「玉葱(たまねぎ)を半分に切ってから皮を剥くんですね?」

「その方がうまく剥ける気がしてね」

「これだけ(部屋に人数が)いると視線は感じますか?」

「これだけいると感じますね」

 笑いが起きた。私も入れて5~6人がそのダイニングキッチンにいた。いつもどう質問するのか伊藤に聞くと、こう答えた。

「視覚障害者だったら、今どういうふうに見えてますか?とか、わりと何回も聞かれているだろうなということを最初に質問していきます。聞いていると、ちょっとひっかかる言葉とかも出てくるんです。それも自分の体をどう動かしているのかと同じで、本人が無意識的に使ってる言葉だと思うんですけど、どうしてこの言葉を使うんだろうという疑問が出てくるんです。そうしたら、それについてまた質問していく。たとえば、手を切断して幻肢(失った四肢が存在するような錯覚)の手を感じている人が、“今日は、手が腫れたがっている”みたいな言い方をする。“腫れたがっている”という言い方は、その人が幻肢と対話するみたいなモードに入っているのかなと思うんです」

美学者としての訓練が
相手の言葉を聞き逃さない

 伊藤の肩書は美学者だが、肩書と彼女の仕事を結びつけることは一筋縄ではいかない。広辞苑によれば、美学とは[自然・芸術における美の本質や構造を解明する学問]で、専門研究者やかなり通じた「玄人」でないと理解できないような難解な哲学用語を駆使する学問だ。

次のページ