たとえば、会社の同僚との飲み会で、三国志のマニアックなクイズを出しても、喜んでもらえる可能性は低い。この三つの視点を守っていれば、相手も自分も楽しめるクイズができると思います。

 ただ、この三つの視点は、会話やコミュニケーションの基礎技術です。「問い、答える」ということも、誰もが日常的に当たり前にやっていることでもありますよね。

――ではなぜ、そんな当たり前の行為が、「クイズ」という一種の競技、観客を熱狂させるエンターテインメントショーになり得たのか。

 今月、上梓した『クイズ思考の解体』では、クイズ成立以前から現代のムーブメントに至るまで、クイズ番組の勃興と盛衰の歴史がメディア論と並行して論じられている。

■問う側と答える側

伊沢:自己完結できる音楽や文学とは異なり、クイズは必ず「問う側」と「答える側」の2者が必要になります。そのため、クイズが広く親しまれるには、一つの問いを一度に多くの人に届けられる拡声器としてのメディア、特にテレビの登場を待たなければならなかったというのが、僕の考えです。

 また、メディアはそのとき注目を集めているものや話題の人が登場するもの。「世間からの関心や問いにわかりやすく答える」という点で、クイズというフォーマットはとても相性がいい。メディアとクイズは長い間、蜜月関係にあり、互いの価値を利用し合う共犯関係でもあったと思います。

――自身も、2017年にクイズ番組「東大王」で優勝したのを機に表舞台に立ち、近年のクイズ番組ブームを牽引してきた一人だ。

■過程こそ見てほしい

伊沢:クイズや東大生が注目されることはありがたいです。ただ、学歴や肩書ばかりがもてはやされる傾向は、正直違和感がありました。

 一時期の難問系クイズ番組は、出演者のバックグラウンドや成長の過程を見せる余裕を失いつつありました。特にネット動画が普及して以降、「結論」以外の部分は無駄な時間と思われて、すぐにチャンネルを変えられてしまうこともある。そこにおいて学歴や肩書というのは、瞬時にその人の努力過程をラベリングできる便利な道具になっているのだと思います。

 それに対して、ジレンマを抱えた時期もありました。

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