足裏から指先まで全身の運動機能を巧みに操り、東京五輪では黄金の頂に手をかける(撮影/今祥雄)
足裏から指先まで全身の運動機能を巧みに操り、東京五輪では黄金の頂に手をかける(撮影/今祥雄)
クライミングの原点は庭に立ち並ぶ樹木。子どものころから木に登ったり、牛舎の屋根に登って遊んだ。工夫しながら登りきる征服感と高いところからの眺めが好きだった(撮影/今祥雄)
クライミングの原点は庭に立ち並ぶ樹木。子どものころから木に登ったり、牛舎の屋根に登って遊んだ。工夫しながら登りきる征服感と高いところからの眺めが好きだった(撮影/今祥雄)

 小さいころから、木登りが大好きだった。小学校5年生のときにクライミングに出会うと、のめり込んだ。その才能はすぐに開花し、大会に出場すると、いくつものメダルを手にした。父は牛舎をボルダリング施設へ改装した。昨年、ついに五輪出場の切符を手にした。五輪は1年延期になったが、その分、充実した準備ができる。金メダルが見えている。

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 茨城県にあるJR常磐線の龍ケ崎市駅から車で15分。小綺麗に区画整理されたニュータウンを通り抜けると、濃い緑に囲まれた一画があった。入り口には年代を感じさせる「野口牧場」の看板が標され、その奥に、のどかな雰囲気に異形を放つビル4階建ての高さの細長い建物が聳えていた。

「やっと完成しました。これで東京五輪まで心置きなく練習できます」

 そういいながら白い歯を見せるのは、日本スポーツクライミング界の“絶対女王”といわれる野口啓代(31)。

 赤、黄、青などの突起物に彩られた迫りくる壁面で、体を巧みに移動させながら登りきるこの競技は、今やすっかりお馴染みになった。

 カラフルな壁面に負けないほど色鮮やかなコスチュームを纏い、真っ赤なマニキュアに染められた爪先で突起物を掴み、筋肉が詰まった細身の身体を繊細に移動させ登攀する野口の姿は、見ている者に息をつくことを忘れさせる。クライマーという無骨な世界に、野口は“美”を持ち込んだ。

 一方で、磨き抜かれた身体の一部は変形している。足の指を丸めて登攀靴を履くため、すべての足の指の第一関節がペンだこのように硬く盛り上がり、そして手の指には指紋がなかった。野口が指先を見やる。

「クライミングは足の裏だけではなく甲も使うので、足の指にタコができる。だから夏は恥ずかしくてサンダルがはけません。手の指はホールド(突起物)を強く掴むので指紋がすり減ってしまうんです。そのためスマホの指紋認証は出来ないし、シャンプーの時は痛くって……。でも指紋は試合を少し休むと再生されますね」

 手足の変形は野口の勲章ともいえた。変形するまでに、情熱と時間をかけてきた証しだからだ。ボルダリングジャパンカップ優勝11回、ボルダリングW杯優勝21回、W杯年間総合優勝4度という輝かしい戦績が、野口の手足を徐々に変形させたのだ。ちなみに野口は、指先の第一関節をかけただけで、懸垂を何十回とできる。

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練習場所の少なさにため息