医療人類学者の磯野真穂さんも、違和感をこう語る。

「人間は本来、他者と交流して生きる存在です。新しい生活様式はその真逆。確かに、感染はしなくなるかもしれない。でも、交流することを手放し、それで『生きている』と言えるのでしょうか」

 緊急事態宣言が明けて約1カ月。多くの人は、どこへ行くにもマスクを着用して手指消毒を励行し、新しい生活様式を戸惑いながらも受け入れているように見える。

 磯野さんは背景に、インパクトのある情報だけが強調される問題があると指摘する。

「『対策を講じない場合は42万人が死亡』など、専門家が提示するショッキングな数字が音声と映像で演出されることで、心に恐怖が植え付けられた。それにより、私たちの社会は大きく変わりました。これまで長い時間をかけて培ってきた生活の在り方を、あっさりと諦めつつあります」

 本来、一人ひとりの生活には多様性があり、一律に論じることはできないはずだ。しかし、感染の恐怖がクローズアップされ続ける中で、私たちはいつの間にかゼロリスクを目指すことが至上命題になってしまった。

「人間は老いやがて死んでいく存在であることを、多くの人が直視できなくなっているように思います」

 磯野さんは、いま必要なのは、リスク管理と私たちが手放しつつある「ふだんの生活」との間の「中間の議論」を可能にすることだという。

「一律に専門家の言う通りにするだけでは、決して中間の議論にはなりません。たとえば、居酒屋がどう続けていくかは、現場で働く人が持つ知恵も生かして考えていく。それが中間の議論です」

 その物差しとなるものを、ゼロか100かという過剰な尺度とは異なる、「やわらかい」気づかいと表現する。

「『どんなときでもマスクをつけろ』ではなく、感染リスクの高い高齢者と話すときや、相手との距離が近いときにはつけ、そうではないときは外してみる。そうした『やわらかい』リスクヘッジが求められていると思います」

(編集部・石臥薫子、小長光哲郎)

AERA 2020年7月6日号