日本社会には、障害者差別が根強くあります。旧優生保護法のもと本人の同意のないまま不妊手術をしたり、障害者を人里離れた山奥に隔離したり、精神障害者の社会的入院や身体拘束が日常化していたり。中央省庁での障害者雇用の水増しも、数字の偽装に見えますが、その本質は「官製の障害者排除」です。

 実はこの差別意識は人間の性(さが)とも言えるものです。今回の事件を通して、自分の中にも「小さな植松」が潜んでいるということ、つまり「内なる差別」に気づくことが大事です。障害者施設の必要性は認めつつ、家の近所に建つとなると、反対運動が起きるのもその一例です。朝の通勤電車で人身事故があり、大幅に遅延するというアナウンスを聞けば、つい心の中で舌打ちをするかもしれません。事故に至った個々の背景にまで想像が及んでいないのです。

──「内なる差別」に気づいたら、どう向き合えばいいですか。

 差別を醸成する要因に無関心や無知が挙げられます。まずは差別を受けている人に接し、事実を知ることが第一歩です。その上で、地域や職場で最も厳しい条件に置かれている人に絶えず焦点を当てること。地域や職場で障害者や高齢者、病気の人、女性など大きな困難を抱えている人を応援する気持ちを持つことです。そうした人を置き去りにすると、それが社会や集団の最低基準になり、職場であれば賃金や待遇面などで全体のレベルアップが阻害され、やがて自分自身に返ってきます。

 もう一つは、自分の考え方と遠い人とつき合う力、異論を受け入れる力を持つことです。苦手な人っていますよね。その人とつき合う努力をしてみる。そんなことを考えながらの植松被告との面会は、絶対に許せないという思いの一方で、彼を生んでしまった社会の脆(もろ)さを痛感せずにはいられませんでした。

――日本は人権に関する意識が弱いと言われています。

「人権を守る」ということは、差別の歴史を知り、それを忘れ去られないようにする闘いです。例えば、みなさんは第2次世界大戦中、ドイツでユダヤ人の大虐殺が起こったことはご存じでしょう。ナチスは「ユダヤ人は劣る人種で、ドイツ民族の血を汚す」と決めつけました。身体的・精神的に優秀な能力を持つ者の遺伝子を残し、能力の劣った者の遺伝子を排除する、これが優生思想です。

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