

相模原市の障害者施設で45人が殺傷された事件は、16日に判決を迎える。AERA2020年3月16日号では、植松聖(さとし)被告と3回接見を重ねた障害者団体の代表に、いま私たちが考えるべきことを聞いた。
【写真】事件からちょうど3年が経った園の玄関には、献花台が設けられた
──日本障害者協議会代表で、自身も視覚障害がある藤井克徳(かつのり)さんは「やまゆり園」の殺傷事件を当初、どう受け止めましたか。
植松聖被告は「障害者は不幸を作ることしかできない」と言い続けています。私たちは、社会の誤った障害者観を政策面から変えていくために仕事をしてきました。例えば、重い障害のある人が地域のなかで働く無認可の作業所を全国6千カ所超まで拡充。地域の名物となったパンの製造、喫茶店やレストランなどもでき、2012年に成立した障害者総合支援法にも位置付けられました。駅のエレベーターやエスカレーター、スロープ、ホームドアの設置だけでなく、障害者権利条約を批准するための障害者基本法の改正や障害者差別解消法など国内法の成立に向けた働きかけには何年もかかりました。
時代をつなぎながら薄紙を重ねるように取り組んできたため、事件を知ったとき、先輩から受け継いだバトンをむしり取られたと感じました。しかも、植松被告は被害者と生活をともにした元職員で、無抵抗の人の喉元(のどもと)に何度も刃(やいば)を突き刺した。怒りしかありませんでした。
──それでも接見に出向き、裁判の傍聴も重ねています。
「なぜこうした事件を起こしたのか、その背景を知りたい」という一心からでした。でも、私にとって、植松被告との面会は砂を噛むような印象を受けました。生きた言葉を交わすことができなかったという思いが残りました。
植松被告の心の奥底には、3回の面会ではたどり着けませんでしたが、彼の考えは突然降ってわいたものとは思えません。生きてきた日本社会や家族との関係、勤務した施設など、取り巻く環境が深く影響していると思います。