実は、その前に障害者や病人を標的に殺害した「T4作戦」という特別計画があったことは、ほとんど知られていません。「戦争を推し進める上で障害者は邪魔な存在」とするナチスの考え方と、障害のある人を殺害して医学的な資料を得たいとする医療界の欲望が一致し、ドイツ全土の病院や障害者施設から候補者を選び、バスに乗せてガス室へ送りました。いま聞いても背筋が凍りつくような悲惨な歴史です。

 2015年、私はNHKとの共同取材で、このガス室の中へ入りました。全盲の私が緊張しながら耳をすましたら、ここで殺害された障害者20万人からの「こういう死に方は、わたしで最後にして」という心からの叫びが聞こえてきました。こんな「価値なき生命と決めつけた抹殺を忘れまい」と、私は3度にわたるドイツでの訪問と関係者へのインタビューを書籍『わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想』にまとめました。後世に語り継ぐためです。全盲の私が書籍を執筆していく作業は、多くの方々の献身的な協力あってのことでした。

 故・リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー元ドイツ大統領が「過去に目を閉ざす人は、現在にも盲目となる」と言葉を残しました。T4作戦は80年前のことですが、それを忘れてしまうことで、新たな差別による抹殺を容認するできごとが起こりうるのです。

──どのような政策を打ち出したらよいでしょうか。

 人の意識は環境に左右されます。障害の重い人が地域でいきいきと暮らす状況が見られたら、見方は好転するに違いありません。特に、「家族からの独立」と「自立できる経済基盤の確立」が必要です。個の確立は住まいと教育が基盤になります。

 大規模な集団施設は、どうしても閉ざされてしまいます。それを解体してできたグループホームも、大人が集団生活をしているという点で本当はおかしい。非言語コミュニケーションの場合でも、複数で本人の意思をくみ取ります。重度障害者がいきいきと生活する姿を知ってもらうことで、ポジティブな障害者観が生まれます。問われるのは政策です。政府の責任は重いです。

 日本も批准した障害者権利条約には、「他の者との平等」というフレーズが三十数回出てきます。「障害者に特別な権利を」などとは言っていません。求めているのは、同年齢の市民との平等を実現すること。地域でも学校でも職場でも、インクルーシブ、すなわち「分けないこと」を実質化しなければと思います。

 判決は下っても、事件に決着がついたわけではありません。風化は敗北です。私なりに生涯を通して対峙(たいじ)していきます。

(構成・医療ジャーナリスト福原麻希)

AERA 2020年3月16日号