礼宮さまが生まれた1965年、皇太子さま(当時)は記者会見で教育方針を聞かれ、こう答えている。「上の方は自由に、下の方は窮屈にとの方針で育てたいと考えています」

 長男であるご自身の願望だったのかもしれない。小坂部さんの証言から実際にはそうはならず、むしろ逆だったとわかる。それを小坂部さんは「二人の立場に即した二様の対応」と評したのだが、長じて秋篠宮さまは国民にいろいろな「気づき」を与えてくれる方になった。昨今の秋篠宮さまを見て、そう思う。

 例えば一昨年の11月、53歳のお誕生日にあたっての記者会見。秋篠宮さまは翌年に控えた大嘗祭について、「一つの代で一度きりの大切な儀式ということから、公的性格が強い、ゆえに国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね」と振り返ってから、「宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」と言い切った。

 大嘗祭への公費支出は憲法が定める「政教分離」にそぐわない。そのことを柔らかい表現ながら公にした。さらには平成と違い、代替わりまでに時間があったにもかかわらず、「前例踏襲」と決めてしまった安倍政権への批判。そう受け止めた人も多かったのではないだろうか。

 兄は「国民統合の象徴」であり、憲法で定められた「国事行為」を行う当事者になる立場。政権が決定したことに個人的見解を述べられない。その点「のびのびと」育った弟なら意見を言える。秋篠宮さまは、そう思い定めているのだろう。

秋篠宮は言葉づかいはソフトだが、現実的で自然体の実行力がともなっている」

 著書『皇室の風』でそう評価したのは、朝日新聞で長く皇室を取材していた岩井克己さんだ。86年から担当、87年に「礼宮さまが口ひげを生やし、取材陣の前にあらわれた」ことを記事にした、と同著の中で懐かしむ。

 岩井さんが注目したのは、44歳の誕生日にあたっての記者会見での発言だ。08年暮れに上皇さまが体調を崩し、当時の宮内庁長官が「私的な所見」と断った上で「皇統の問題など皇室の将来への不安」が要因と発言していた。翌09年11月の会見でそれへの見解、皇統の問題についての考えを尋ねられた。長い回答だったが、最後に秋篠宮さまはこう答えた。

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