茨城県牛久市にある「牛久入管」。約40カ国の約280人が収容され、6カ月以上の長期収容者が9割を占める。面会時間は1回30分、面会もアクリル板越しだ(撮影/編集部・野村昌二)
茨城県牛久市にある「牛久入管」。約40カ国の約280人が収容され、6カ月以上の長期収容者が9割を占める。面会時間は1回30分、面会もアクリル板越しだ(撮影/編集部・野村昌二)
自らの死を覚悟したデニズさんが書いた「遺言状」。自らの血で捺印し、日本人の妻への思いをつづり、「私が死んだら入管のせい」などとある(撮影/写真部・張溢文)
自らの死を覚悟したデニズさんが書いた「遺言状」。自らの血で捺印し、日本人の妻への思いをつづり、「私が死んだら入管のせい」などとある(撮影/写真部・張溢文)
8月13日、仮放免された際に記者会見するデニズ・イェンギンさん。収容中、警備官に「暴れた」として押さえつけられたと身ぶり手ぶりで訴える (c)朝日新聞社
8月13日、仮放免された際に記者会見するデニズ・イェンギンさん。収容中、警備官に「暴れた」として押さえつけられたと身ぶり手ぶりで訴える (c)朝日新聞社
15年末をピークに仮放免は減っている(AERA 2019年11月11日号より)
15年末をピークに仮放免は減っている(AERA 2019年11月11日号より)

 在留資格がない外国人らを送還するまでの間、収容するための施設で、ハンストや自殺未遂が相次いでいる。閉ざされた「密室」で、いったい何が起きているのか。AERA 2019年11月11日号に掲載された記事を紹介する。

【写真】自らの死を覚悟したデニズさんが書いた「遺言状」

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 アクリル板を隔て、デニズ・イェンギンさん(40)はうつろな目で訴えた。

「絶望しかない。死にたい」

 たどたどしい日本語で、表情は暗い。

 10月2日、茨城県牛久市の東日本入国管理センター(牛久入管)の面会室。9月下旬にデニズさんは、施設内で缶ジュースをねじって裂き、その切り口を両手首に当て自殺を図った。面会した際、両手首には包帯が巻かれていた。

 トルコ国籍でクルド人のデニズさんは、トルコで反政府活動に加わったことで2007年5月、弾圧を恐れ来日した。難民申請をしたが認められず、国に戻ると殺されるため日本にとどまった。11年に日本人女性と結婚したが、在留資格がないことから16年5月に東京入国管理局に収容され、翌17年2月に牛久入管に移された。以来、ここにいる。デニズさんは言う。

「体調が悪くて、食欲もない。物忘れが多くなり安定剤を飲んでいるが眠れない。ここは、刑務所よりもひどい」

 運動時間は短く、病気になってもなかなか医師に診てもらえない。職員から殴られるなど暴行も受けたという。

 何よりつらいのは、先の見えない生活だ。デニズさんは5年ほど前に暴行罪で逮捕され、短期間だが刑務所に入ったことがある。刑務所であれば刑期を終えれば出てこられるが、入管難民法は収容期間を定めておらず、収容期間は事実上、入管当局の裁量で決められる。理論上は無期限だ。

 絶望の中で6月、デニズさんはハンガーストライキ(ハンスト)に出た。衰弱し、体重は74キロから63キロに。8月には一時的に外に出られる「仮放免」が認められたが、2週間後、理由も示されないまま牛久入管に「再収容」された。死を覚悟したデニズさんは「遺言状」を書いた。「私と妻、お互を凄く愛してます」「もし収容所で心臓発作(麻痺)、脳梗塞や不適切な医療の理由で死んでしまったら、責任はすべて入管にあります」(いずれも原文ママ)などと書きつづった。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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