真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)/1977年、東京都出身。2008年、『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受けてデビュー。ほかに『畦と銃』『墓頭』など(撮影/写真部・大野洋介)
真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)/1977年、東京都出身。2008年、『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受けてデビュー。ほかに『畦と銃』『墓頭』など(撮影/写真部・大野洋介)

 直木賞受賞作『宝島』では史実を交え、米国統治下の沖縄を描いた。作家の真藤順丈さんは、2月の県民投票で示された民意を受け、さらに風を吹かせたいと意気込む。

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 初めて訪れた沖縄で、米軍嘉手納基地(嘉手納町など)の大きさに度肝を抜かれた。

「こんなにデケエんだ」

 作家の真藤順丈さん(41)は振り返る。小説『宝島』で1月、直木賞を受賞した。

 物語の舞台は、太平洋戦争後のアメリカ統治下の沖縄。当時、フェンスを越え、米軍施設から食料や衣類、医薬品などを盗み出す「戦果アギヤー」と呼ばれた若者たちがいた。沖縄の言葉で「戦果を挙げる者」を言う。中でも20歳のオンちゃんは、戦果アギヤーの英雄だった。だが1952年のある日、仲間たちと嘉手納基地を襲撃した後、こつぜんと姿を消した。

「英雄の失踪」という謎を軸に、1950年代から70年代までの沖縄が壮大なスケールで描かれる。残された仲間の男女3人、親友のグスク、弟のレイ、それに恋人のヤマコはその後、警察官、テロリスト、教師となりタフに生きていく。幼女強姦殺人事件、米軍機の小学校への墜落、反米暴動……。沖縄にとって忘れることができない史実を交え、奪われた「故郷」を取り戻すために立ち上がった若者たちの物語だ。

「どの時代のどの場所にも、見えない抑圧や差別はある。沖縄の統治時代はまさにそうだった。それにあらがって生きる人たちの息遣いや熱量を知ってもらいたかった」

 小説とは、「正史」や教科書からこぼれ落ちた人たちを描くものだと言う。

 構想から完成まで7年かかった。真藤さんの出身は東京。沖縄にルーツがない自分が、統治下の沖縄を描く重みを背負い切れなくなり途中、2年近く執筆を中断した。

 沖縄を訪れたのはそんなとき。嘉手納基地のほかにもコザ(沖縄市)の街を歩き、地元の人に話を聞き、街なかにぽつんとある御嶽と呼ばれる祈りの場も巡った。沖縄には3回訪れることになるが、自身の五感を通して感じた土地から立ち上ってくる命の力や脈動、さまざまな人々の言葉を拾い、物語を紡いでいった。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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