萬斎:新参者の僕は皆さんと総力戦でした。香川さんとは丁々発止でしたし、橋爪功さんはこういう技術を使うのかって。僕もいろんな俳優さんの癖や技術を盗むんですが、それをどう受けて返すか。野球の試合と一緒です。橋爪さんは変化球を投げ終わったと思ったらまた来た、みたいな演技をするんだなとか。香川さんは豪速球。談春さんは変化球だなとか。そういうところも楽しみました。でも、吉田羊さんなど女優さんと共演している時の方が男社会の会社とは違うトーンになって、「現代劇をやっているな」という気になりました(笑)。池井戸先生は映像化された作品をどうご覧になっているのですか。

池井戸:客観的に見てますね。自分の小説についてもです。僕は読者目線で書いているので、ここが弱いとかここの肉付けがおかしいとか。映像化されたものは自分の作品ではないにせよ、“親戚”くらいの感じです。映像化された作品を見る時のポイントはセリフのロジック。脚本としてセリフがきっちり積み上がっているかどうかです。そこが一番気になるかな。

萬斎:今回いろんな方とかかわる中で、人間ってやっぱり存在を認められることが重要なんだと思いました。社会で生きている限り、自己存在が会社だとか家族のために役に立っているという実感がないと、自分がどこに立っているんだろうと不安になる。今の時代は情報も選択肢もたくさんありますから余計そうなんでしょうね。北川部長にしたって原島さんにしたって、映画に出てくる誰もが自分を認めてもらうために一生懸命生きている。なのに、どこかで道を誤ってしまう。この映画はそういう人間の群像劇としても捉えられます。一方、自分自身の仕事で言えば、常に目線を低くしていたいと思わされました。先ほど申し上げた狂言の「このあたりのもの」という言葉の重みを感じます。人間としての根本として今、自分の中にこの言葉が響いています。

池井戸:僕は仕事や働くことについてあまり深く考えたことがないんだけど、祖父母や両親の考え方を引き継いでいるところがあります。まず元気でいることが一番大事。それと仕事があること。この二つがあったらOKという感じです(笑)。僕は今、とりあえず健康で作家としてやるべき仕事がある。それだけでいいかなって思う。そこから先を考えると難しいことになっちゃうんです。売れるかとか何かの賞を取れるか、とかね。僕はよく悩みを相談されるんだけど、「そんなことは自分で考えろ、人に聞くな」といつも答えています(笑)。みなさん、複雑に考えるから悩むんだろうな。

(ライター・坂口さゆり)

AERA 2019年2月11号より抜粋