北田暁大(きただ・あきひろ)/1971年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。社会学、メディア論を専攻。著書に『嗤う日本の「ナショナリズム」』『増補 広告都市・東京』、共著に『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』など(撮影/岡田晃奈)
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北田暁大(きただ・あきひろ)/1971年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。社会学、メディア論を専攻。著書に『嗤う日本の「ナショナリズム」』『増補 広告都市・東京』、共著に『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』など(撮影/岡田晃奈)

 ロスジェネのその後、ネトウヨ化した世界、リベラル・左派の混迷。『終わらない「失われた20年」嗤う日本の「ナショナリズム」・その後』は、論壇も現代思想も終焉を迎えるなかで敢然と言論戦を挑む気鋭の社会学者のメッセージが込められた一冊だ、今回は著者の北田暁大さんに、同著に込めた思いを聞く。

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 ネトウヨ的世界観が社会を席巻し、安倍1強が続く中、リベラル・左派は対抗軸としての役割を示し得ているのか。一方、中年となった「ロスジェネ世代」は見捨てられた世代だといわれる。果たしてバブル崩壊以降の「失われた20年」は終わったのか。

 本書は、「論壇」も「現代思想」も終焉した時代にあって、知識人のあり方を問い、アベノミクスや格差社会と真に対決するソーシャルリベラリズムという観点で左派の復権を説いた、気鋭の社会学者・北田暁大さんの論考・対談・鼎談・往復書簡をまとめたものだ。

「失われた20年の直撃を一番受けたのが今の40代の女性たちではないか。就職氷河期に直面して、(特に非正規労働者や母子家庭は)労働条件の悪い苦しい時代を生きてきたにもかかわらず『自分勝手』といった的外れな言われ方もされてきた。そもそも論壇とは本来、そうした人たちに希望の言葉を紡ぐことでなければならないはずです」

 2015年の安保法制反対では団塊世代と現役学生たちの共闘が脚光を浴びたが、その敗北後に何が到来したのか。北田さんは少なからぬリベラル・左派知識人の言動に違和感を抱く根拠をこう語る。

「安保法制が通ったからといって日常生活が変わったわけではないし、モリ・カケも自分の財布に影響しない。消極的な安倍政権支持の一番大きな要素は経済です。だからこそリベラル・左派は政治的な課題として経済に踏み込むべきなのに、相変わらず低成長と相互扶助でよしとする考え方に安住している。それではネオリベに負けますよ」

 本書の第I部「社会的シニシズム=脱成長派と対峙する」では、上野千鶴子氏への(対談も含め)批判的論考を通して展開、左派論客の多くが成熟社会論=清貧の思想にしがみついていると指摘する。注目は第II部でのブレイディみかこ氏との往復書簡。反緊縮左派という選択肢が説得力をもって伝わってくる。さらにもう一つ興味深いのが、都市と格差を論じた橋本健二氏、原武史氏との鼎談である。

「東京は、東側と西側の世界が違い過ぎる。文化階層や貧困の問題と地域格差は密接に関わってくる。私は荒川区に住んでいますが、地元の喫茶店の会話から聞こえてくるような言葉から、問題を可視化して処方箋を示すことが社会学者の役割だと思います」

 言論戦は市井に届いてこそ真価が試される。北田ファイトは終わらない。

(ライター・田沢竜次)

AERA 2018年9月3日号