“原子論の始祖”ことジョン・ドルトン(1766~1844)は“色盲”だった。彼が18世紀末に発表した自身の観察結果が、この分野での世界初の学問的研究とされている。

 1875年、スウェーデンのラーゲルルンダという地方で列車の衝突事故があり、多くの死傷者を出した。信号操作の過失が原因と断定されたが、後に生理学者F・ホルムグレンが、死亡した運転士の色覚に問題があったと主張。各国で鉄道会社の採用試験に色覚検査が導入される契機となった。

 あえて“色盲”の表現を用いたのは他でもない。実際にそう称されていた時代の事実は、言い換えてしまうと当時の空気が伝わらないからだ。

 色覚検査には多様な方法がある。日本では陸軍の依頼で東京帝国大学教授の石原忍氏(1879~1963)が16(大正5)年に創案した「石原式」が絶対視されてきた。仮性同色表と呼ばれる検査表の一種で、他の検査方法よりも検出率が高いのが特徴。まず徴兵検査に使われ、たちまち学校の身体検査にも広がった。学校で日本ほど徹底した検査制度のあった国はない。

“色盲”差別は戦後も続いた。多くの企業や官庁が採用の条件に“正常な色覚”を挙げ、このため理系や教育系の大学や高校などで入学が制限される時代が長かった。80年代後半に前出の高柳氏らが行った調査では、その大部分が具体的な根拠を示すことができず、ただ「慣例による」と回答したという。悩んでいる子や保護者を標的に、「色盲は治る」と謳う商法も現れた。

●進化の過程で淘汰されず種にとって有利だった?

 実態が公になり、人々の人権意識も高まるにつれて、改善の方向性が定まっていった。雇い入れ時の色覚検査義務を廃止した労働安全衛生規則改正は01年。翌々年に学校での検査も必須でなくなった。現在もパイロットや管制官、警察官、自衛官などに採用制限が残っているが、たとえば警察官は、職務遂行に支障がなければOKと、運用が緩和されている。また消防職員の場合は、昨年消防本部ごとに色覚を採用条件にするか否かがまちまちである実態が明らかになった。

 前述のスウェーデンの事故についても、英国の心理学者J・モロンらが12年、“色盲”との関連を裏付ける証拠はなかったとする精緻な研究成果を発表した。ホルムグレンは、トリックを使って世間を欺いたのだという。事故から137年が経っていた。

 筆者も当事者だ。子どもの頃は「健康手帳」の類(たぐい)にいつも「色弱」と書き込まれ、自分はデキソコナイだと思ってつらかった。理系に進む学力はなかったし、就職でも制限されそうな職種には初めから興味がなくて実害もなかったが、出版と放送には受験資格がない(当時)ことには理不尽を感じた(後にある雑誌社でカラーグラビアを担当もした)。結婚する時、相手に「俺、色弱だけど、いい?」と念を押した。

 誰もが善意なのだとは思う。ただ、気になるのは、筆者がさる2月、夕刊紙の連載コラムで最初にこの問題を取り上げた際の反応だ。ネット上に「色盲の奴に大事な仕事に就かれちゃ迷惑なんだよ!」という声が溢れていた。

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