あるいはまた、石原表の評価を満天下に知らしめたのは、太平洋戦争前夜の「新体制運動」下で、朝日新聞社がとった態度だったという。“色盲”には一方で濃淡のコントラストを強く感じる特性があり、擬装された敵陣を発見するのに米軍が活用しているとの報を機に石原表を礼賛し始め、41年には石原氏に「朝日賞」まで授賞した。

 その過程を分析した東京農業大学の鈴木聡志准教授(57、教育心理学)の話。

「朝日新聞は、石原表を優秀で、世界に認められ、日本人が苦心して創り出した日本の誇りだと強調していました。挙国一致の戦時体制を固める新体制運動にあって、民族の優越をアピールするには格好の素材だったのでしょう」

“日本スゴイ”と自画自賛する本やテレビ番組が激増する近年の風潮と、どこか重なってはこないか。日本眼科医会の宮浦氏はこうも話していた。

「学校での検査がなくなった当時は、人権派の政治家が多かった。今は右の人が増えている。政治状況の変化が、我々には追い風になったと言えます」

 だからいけない、と言いたいのではない。推進派の主張には一理がある。だが論理的には筋道が通っても、現代の日本社会は、学校での検査復活に耐えられるほどに成熟しているのだろうか。

 東京大学大学院新領域創成科学研究科の河村正二教授(55)に会った。中南米の新世界ザルや、ゼブラフィッシュを使って色覚の研究をしている自然人類学者は、こんな話をしてくれた。

「ホモ・サピエンスの登場から20万年。ホモ(ヒト)属に遡れば200万年です。進化の過程で、環境や生態条件の変化に対応しながら柔軟に多様化したらしい“色覚異常”が淘汰されなかったのは、そのほうが種にとって有利だったからではないか。本来はABOの血液型──優劣では語られない──と同じような性格のものだったのかもしれません。それが産業革命に伴い、色をつけることで物を区別する方法が広まり、特性による有利、不利が生じてしまったように、私は思うのです」

 日本遺伝学会が昨年9月、「色覚異常」の用語を「色覚多様性」に改めたという報を思い出した。成熟しつつある領域は確実に存在する、のだが──。(ジャーナリスト・斎藤貴男)

AERA 2018年7月23日号