国会答弁を見ていても、政治家の言葉からは真実が見えない。政治家の言葉は、どうして力を失ってしまったのか。
「言葉は命」とまで言われる政治家にとって、どのタイミングで、どんな発言をするかは極めて重要だ。失言で失脚した政治家は数知れず、不用意な発言は、時に外交問題にも発展する。政治家の発言には相応の重みがあったはずだが、安倍首相や側近たちの発言は、あまりにも軽く、乱暴だ。いつから政治家の言葉は“劣化”したのか。
『政治家の日本語』の著者で信州大学名誉教授の都築勉氏によれば、政治家の言葉には2種類あるという。国民に政策の本質を的確に説明できる「外に向けた言葉」と、利害が異なる関係者を説得して妥協点を見つける「内に向けた言葉」の二つ。国会答弁や国民に向けた演説などは前者で、党内や野党との利害調整が後者にあたる。都築氏によれば、大平正芳元首相や小渕恵三元首相は、言葉の選び方や表現の仕方が丁寧かつ適切で、「外」にも「内」にも説得力がある日本語が使えた首相だったという。だが、小泉純一郎元首相から、キャッチフレーズ的な言い回しを多用する「ワンフレーズ・ポリティクス」が主流となり、丁寧な説明をすることが軽んじられるようになった。国民には短い言葉で断言して物事を単純化させ、党内や野党には説明より数の力で押し切る強引な手法が目立つようになった。その帰結が、安倍首相や閣僚たちの乱暴かつ軽薄な言葉の数々だろう。
「安倍首相の答弁は『飛び石』的な特徴がある。論理的に言葉を積み重ねて体系的に説明するのはあまり得意ではなく、個々の事象について自分なりの正当性を強い口調で主張する。自身の思いの強さゆえ、繰り返し何度も断定表現を使うので、強い口調なのに言葉が軽いという“インフレ状態”になっている」(都築氏)
森友学園問題での「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」が代表的だが、安倍首相の答弁は「間違いなく」「必ず」「一度も」など過度の強調や断定が多い。「逃げ道」がなくなった側近や官僚たちは、結果的にウソの答弁を強いられ、どんどん袋小路に追い込まれていく。元凶は安倍首相の発言だが、本人がそれに気づいている節はない。
「政治や人間の複雑さが理解できていない。つまり、単純なんです。強い言葉を使いたがるのは、その表れですよ」