次第にアキオさんの食欲も回復し、肌の血色もよくなった。体重も少しずつ増え、ついには手術前の体重まで戻し、医者を驚かせたほど。一時は会社に復帰できるまでに回復した。その後、口腔底がんの前に患った肺がんが再発し、56歳でこの世を去るまで、クリコさんとの食卓を楽しんだ。

 病気になっても、年老いても、おいしいご飯を当たり前に食べ続けられる。それが、自信になり、生きる気力となっていく。おいしい介護食をつくろう、という取り組みは、徐々に企業にも広がり始めている。

 大阪市中央区の高級鮮魚店「海商」では、歯ぐきでつぶせるほど軟らかい煮魚や簡単にかみ切れる鶏の照り焼きなどを「やわらかシリーズ」として販売。16年の発売開始以来、予想を上回る好評ぶりで、17年度の売り上げは2億円を超える見通しだ。

 開発のきっかけは、客からのある一言だった。以前は店頭でも人気が高かったアワビの売り上げが落ちていた。ある高齢の客に理由を聞いてみると、

「昔はよく買っていたけれど、最近は硬くてかみ切れなくて」

 咀嚼(そしゃく)力が弱った人にも、おいしく食べてもらえないか。15年、「やわらかシリーズ」の開発が始まった。

 こだわったのは、ここでも「おいしさ」だ。軟らかくするには、熱や圧力、酵素などを用いるが、煮魚の場合、酵素を使うと匂いが残ってしまう。ただ、熱や圧力で軟らかくするにしても、魚によって硬さが異なり、時間をかけすぎると魚らしい食感が残らない。試行錯誤を重ね、おいしさと軟らかさのバランスを模索し続けたという。

 開発に当たり、医療や介護の専門家にもヒアリングした。すると、普通食が食べられなくなって、介護食に移行すると、「おいしくない」と食べる楽しみを失い、食が細くなってしまう人が多いと分かった。同社の高光朋子さんは言う。

「かむ力が弱くなった人にも、今まで食べていた普通食と変わらない、ごく当たり前のご飯を食べてほしい、と思ったんです」

 夫を介護中の高齢女性からこんな喜びの電話をもらったことがある。夫は普段は流動食を食べていたが、やわらかシリーズの煮魚を夫婦二人で食べた。

「久しぶりに、夫婦で一緒に、同じご飯が食べられました」

 介護される側はどうしても特別メニューになってしまい、疎外感を感じてしまう。それが食べる楽しみを奪うことにもつながっていたのだ。

「子どもから高齢者まで、家族が皆で一緒に、『おいしいね』と食べていただけるような商品を目指しています」(高光さん)

 前出のクリコさんも、夫と同じメニューを、一緒に食べることを大事にしていた。大切な人と食卓を囲み、「おいしいね」と言い合える。当たり前のように思えるその幸せが、命をつなぐ糧になっているのだ。

(編集部・市岡ひかり

AERA 2018年2月12日号