「天下分け目」の関ケ原町は東と西の“いいとこ取り”? (2/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「天下分け目」の関ケ原町は東と西の“いいとこ取り”?

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作田裕史AERA
関ケ原町の飲食店の隣にある看板。一部の店では、麺類が、薄口昆布だしの関西風、濃口鰹だしの関東風から選ぶことができる(撮影/編集部・作田裕史)

関ケ原町の飲食店の隣にある看板。一部の店では、麺類が、薄口昆布だしの関西風、濃口鰹だしの関東風から選ぶことができる(撮影/編集部・作田裕史)

植え替えられた「だじゃの松」。昭和の初め頃までは、子ども2人でやっと抱えらえるほど大きな幹の松が、道路にせり出す形で立っていたという(撮影/編集部・作田裕史)

植え替えられた「だじゃの松」。昭和の初め頃までは、子ども2人でやっと抱えらえるほど大きな幹の松が、道路にせり出す形で立っていたという(撮影/編集部・作田裕史)

●一本松が隔てる語尾

 岐阜県内を取材すると、もう一つ面白い「境界線」があった。東部の恵那市三郷町殿畑の峠にある「だじゃの松」と呼ばれる松の木だ。その昔、松の木の東側に住む住人は「こうだ」「そのようだ」「行くだ」など、語尾に「だ」をつけて話した。西側に住む住人は「こうじゃ」「そのようじゃ」「行くじゃ」など、語尾に「じゃ」をつけていたことから、いつの間にかその松は「だじゃの松」と呼ばれるようになったと言い伝えられている。現地周辺を取材すると、これをよく知る勝良典さん(86)が話を聞かせてくれた。

「道路が拡張された関係で、昔あった松は撤去されてしまい、今の『だじゃの松』は、20年くらい前に有志が集まって植え直したものです。でも、わしが小さいころには大きな松があって、祖母などから『だじゃの松』のことは聞いていた。今は標準語に近くなってしまったが、確かに昔は、松の東側の山岡のほうでは『だ』をつけて、西側の佐々良木のほうでは『じゃ』をつけて話していた。境界だったという話も、あながち間違いじゃないと思いますよ」

●東は「家」 西は「村」

 では、東日本と西日本の違いとは何なのか。

 日本全国をくまなく歩き『忘れられた日本人』などの著書を残した旅する民俗学者・宮本常一は、随所で東日本と西日本の相違について述べている。東は父系的で西は母系的、といった具合だ。

「宮本さん自身が、山口県周防大島出身の西の人。西を基準として見ている部分はあるのですが……」

 と前置きした上で、宮本常一研究の第一人者である中央大学教授の岩田重則さん(歴史学/民俗学)はこう語る。

「西は家的な結合が弱く、非血縁的結合、横のつながりが強い。民俗の伝承が家ではなく村でなされている。それに対して東は血縁的、縦のつながりが強く、家が連合している。村としてのまとまりは西に比べて弱いという特徴があります」

 糸魚川から関ケ原まで、ことしの夏は「境界線めぐり」でも、いかがでしょうか。(編集部・作田裕史)

AERA 2017年8月14-21日号


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