吉川さんはそう胸を張る。品物は通常、中1日で届く。注文したタコは噛むほどにギュッギュッと味がし、ホッケは皿に収まらないド迫力だった。東京の食卓で小樽の味覚を満喫。「どこでもドア」、また訪ねてみたくなった。

 客を待って魚を売るのではなく、人の集まる所に魚を持ち込み、さばいて提供する。魚屋あさいは、浅井和浩さん(35)と有美さん(33)夫婦がユニットを組む「ノマド魚屋」だ。

 和浩さんは元エンジニア。ものづくりに憧れ仕事に就いたが、ひたすらパソコンに向かい図面を引く日々に違和感を覚えた。脳裏によみがえったのは故郷、静岡・沼津での原体験だった。子どものころ魚好きの父に連れられ、よく海に行った。網を引いてとれたての生しらすを食べたり、浜でうつぼを丸焼きにして家族で楽しんだ。

「東京に来て自分が当たり前に思っていたことが、そうでないことを知りました。居酒屋で出てくる刺し身は決まったものばかり。おいしい魚を出す鮨屋は高額で、そうそう行けない」

 和浩さんは沼津の魚市場の仲卸に職を替え、さらに仕事の幅を広げるため東京の水産商社に転職した。ノマド魚屋の発想は、東京で友人のホームパーティーを手伝ったのがきっかけとなった。「魚を見つくろってほしい」と頼まれ、沼津の市場から新鮮な丸魚を取り寄せ、会場で下ごしらえし、料理に仕立て上げていった。

「そうしたら子どもたちが目を輝かせて寄ってきました。大人も『この魚、わかる?』って丸魚のサバを見せたら、わからない人が多くて。『え~!?』ってすごく盛り上がりました。魚が料理に変わるプロセスがこんなにも人の興味を引くものなのか、と新鮮に感じました」

●おいしい感動が力に

 一方、イベントの仕事をしてきた妻の有美さんは、そこに“エンタメ性”を見いだした。15年、育休中に夫が副業でしていた活動のホームページを作成したところ、手応えを感じノマド魚屋を開業。「魚と人をつなぐ」をコンセプトに、ケータリングやインバウンドの築地案内、魚さばき教室などを行っている。

「ケータリングといっても完成した魚料理を届けるのではなく、魚を持ち込み食べるところまでのプロセスを楽しみ、おいしくシェアする。その点がほかと違います。魚だけでなく、“魚の楽しさ”も届ける。現代版の行商です」(有美さん)

 築地案内は観光客だけでなく一般向けにもしている。魚屋との接点を多くの人が持てないなか、とっかかりを作ることが大事だと考えているからだ。

 先の濱田教授は魚屋が歴史的に果たしてきた役割を次のように説明する。

「都市生活者に魚を教え、広め楽しませる“魚文化の発信と伝承”の役割を担ってきました。魚屋の減少によってその機能が失われてきたが、底をつき、いま原点回帰が始まっていると言えます」

 取材したニューウェーブ魚屋に共通したのは、「本当においしい魚を伝えたい」という思いだった。

「おいしい感動は消えない。人を突き動かしもする」

 と濱田教授は言う。自分もそのうちのひとりだ、と笑う。魚の泳ぐ海は広くて深い。これから、どれだけの感動に出合えるのか。思い浮かべると、ワクワクしてくる。(編集部・石田かおる)

AERA 2017年6月26日号