東京電力福島第一原子力発電所の様子。汚染水を入れる貯蔵タンクがところせましと並んでいる (c)朝日新聞社
東京電力福島第一原子力発電所の様子。汚染水を入れる貯蔵タンクがところせましと並んでいる (c)朝日新聞社
最終講義に臨んだ早野龍五。着物姿で登場した(撮影/内村直之)
最終講義に臨んだ早野龍五。着物姿で登場した(撮影/内村直之)

 2011年3月、東日本大震災と、それに続く東京電力福島第一原発事故は、多くの人生を激変させた。物理学者、早野龍五もその一人だが、その変容はユニークだ。自ら行動し、放射線をめぐる人々の不安に、ツイッターを通じて向き合って6年。今年3月、ひとつの区切りを迎えた。

 物理学を教え、研究してきた早野龍五はこの春、定年で東京大学を去った。20年間、ジュネーブの素粒子原子核物理研究施設CERNで「反陽子ヘリウム原子」の研究を続け、2008年にはその功績で日本の物理分野最高の賞である仁科記念賞を受賞、功成り名を遂げた物理学者だった。その早野が、11年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故を契機に6年の間、福島の放射能とそれによる放射線被曝(ひばく)の問題にのめり込んだ。水が氷になるように変わった。彼を「変身」させたものは何か。

 よく知る人は、「余裕のハヤノさん」と呼ぶ。本業の物理の研究教育の合間には、歌舞伎座に通い、茶道をたしなみ、東西の美術鑑賞も欠かさない。出入りの魚屋が持ってくる旬の魚に舌鼓を打ち、研究から戻れば自宅近くのビアバーでのどを潤すのが恒例だった。それでいて、研究も教育も他の追随を許さなかった。

 3月11日から、早野は寝食も忘れ、ツイッターで発信した。3月のツイート数は1800を超え、以前の6倍となった。それ以来これを超える発信をした月はない。

●12日からのツイッター 発信は原子力関連一色に

 地震とその被害への対応は人並みだった。東大大学院の物理専攻長としての仕事を終え、やっと自宅に帰れば、家人は無事だったが、テレビは落ちて壊れていた。ネット以外の特別な情報ルートはなく、余震を気にするばかりだった。

 翌12日から、早野のツイートは原子力関連一色となった。午後2時22分、「Cs137が出す662keVのガンマ線を確認したという意味か.福島第一原子力発電所」とツイートした。専門の原子核物理の知識を踏まえて、「原子炉が壊れてそこ以外にはない放射性物質が外部に漏洩(ろうえい)した」という事実を淡々と語ることばだった。原発敷地での放射線レベルの急激な上昇について「これはシリアスだ」ともつぶやいた。そんなツイートを続けるうちに、この日だけでフォロワー数は3千人から2万人を超え、1週間後には15万人となった。

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