二つめのきっかけは、福島での放射線被曝の現状はどのくらいなのか、という基本問題であった。その問題のカギとなる


「ホールボディーカウンター(WBC)」という機械が早野の目に触れたのは8月だった。

 WBCは人体内部の放射性物質を測定する装置である。外部からのノイズを遮蔽した大きな箱形で、人がすっぽりと中に入って数分いるだけで測定が完了する。

 1999年の東海村JCO臨界事故をきっかけに原子力関係事故の緊急事態に備えるため、各都道府県に1台程度の設置が望ましいとされていた。原発事故後、福島県内を始めとしてあちこちで稼働していた。しかし、誰も正確な使い方を知らなかった。「正常値の4倍だが、誤差はさらにその4倍」というわけのわからないデータがネット上を闊歩していた。

●福島の解くべき問題に ふつふつ湧いた研究者魂

 11年8月19日、見ず知らずの医師から早野に一通のメールが届いた。メールの主は福島県立医科大学放射線科の専門医・宮崎真で「A社のWBCが非常に問題……実際の内部被曝者を今回の事故まで『実戦経験』として測定したことがない……」。同じころ、東京大学医科学研究所と南相馬市立総合病院を行き来し、WBCで住民を測定し対話していた内科医の坪倉正治も同様の疑問を持ち、早野に相談を持ちかけた。彼も早野と面識はなかった。

 早野はWBCを見たことがなかったが、物理実験における放射線測定のプロとして、データの奇妙さはわかった。それを住民に垂れ流している病院もある。「世の中にはひどい道具があるもんだ」と早野は思った。

 初めて福島県を訪れたのは11月末。福島市、南相馬市、相馬市と見て回った。周囲の放射能汚染の影響、個人個人の体格差の問題、データの統計的解析……事故後に動いていたWBCは、正確な測定に必要なポイントのすべてがなっていなかった。メーカーの対応も間違っていた。「知ってしまったからには放っておけない」と早野。宮崎、坪倉と連携したWBCとの格闘はここから始まった。

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