いや、大動脈となる可能性がなかったわけではない。これは中央線の前史にあたるできごとだが、明治初年、政府が東京と関西を結ぶ幹線鉄道を建設するにあたり、東海道ルートとともに中山道ルートが検討されたことがあった。本州の中央部を通る後者は、松本(長野県)以西の一部区間が現在の中央本線とほぼ重なる。中山道ルートは一時は東海道ルートに対し優位に立ち、部分的に着工もされたが、しかし結局、途中に山岳地帯があり難工事が予想されたため実現しなかった。ひょっとすると、中央線沿線が立身出世主義に背を向け、サブカル化へと第一歩を踏み出したのはこのときだったのかもしれない。

●歌われない中央線

 中央線で上京したという人は、山梨・長野出身者を中心にけっして少なくはないだろう。しかし「中央線による上京」はあまり語られたり歌われたりはしてこなかった。

 たとえば、山梨出身の作家・林真理子の自伝的小説『星に願いを』には、ヒロインが中央線で上京する場面はない。彼女は地元の高校在学中、夏休みに予備校通いのため初めて一人で列車に乗れるようになったものの、上りと下りの違いはついにわからずじまいだった。

 歌でいえば、東北本線には井沢八郎が集団就職列車を歌った「あゝ上野駅」という不朽の上京ソングが存在する。対して中央線でこれにあたる歌というと、せいぜい山梨出身の宮沢和史率いるTHE BOOMの「中央線」ぐらいだろうか。

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