●中央線はローカル線

 いまでこそ日本の鉄道の主役は新幹線を含め電車だが、かつてはその役割を蒸気機関車が列車を牽引する「汽車」と明確に分担していた。電車はまず路面電車として登場し、やがて大都市の近郊路線にも導入されるようになる。短い区間を短い間隔で運転するには、汽車よりも電車のほうが効率的だったからだ。

 甲武鉄道では1904年、飯田町~中野間で電車の運転を開始し、これが中・遠距離を走る「汽車」と大都市近郊を走る「電車」が併用された全国初の区間となった。上京のための「幹線」と、東京の「ローカル線」という中央線におけるイメージの分裂も、この汽車と電車の役割分担に由来すると考えれば納得がゆく。

 ただし、その後の鉄道電化の広がりにともない汽車と電車の分担はほかの幹線でも見られるようになった。しかし東海道本線と東北本線における東京近郊の電車区間は、長距離区間と区別して「京浜東北線」という通称が与えられた。ひるがえって中央本線は近郊電車も中・遠距離電車も通称は「中央線」と同じまま現在にいたっている。それにもかかわらず、中央線では幹線とローカル線とイメージが分裂した。逆説というしかない。

 現在建設中のリニア中央新幹線(中央新幹線)は、中央線と名称や運転区間が一部重なる。ただしリニアはあくまで東海道新幹線を補完するために建設されるのであって、中央線とは事実上関係はない。リニア開業により中央線のダイヤが変更されるなど大きな影響を受けることはないだろう。たとえ沿線地域がどんなに変化しようとも、今後も中央線はわが道をゆくに違いない。(ライター・近藤正高)

AERA 2016年6月6日号