中央本線のなかでも東京近郊線である東京~高尾間は「中央急行(快速)線」と呼ばれる。同区間の大半にあたる御茶ノ水~八王子間は、明治時代に甲武鉄道という会社が建設した。その建設の主たる目的は、生糸や織物など多摩地方の特産品の運搬にあった。ここで思い出されるのは、八王子の呉服店に生まれたミュージシャンの松任谷由実である。その生い立ちからすれば、ユーミンは正統な中央線沿線の出身者ともいえそうだ。

 もっとも、ユーミンは八王子の実家から杉並区久我山の立教女学院中学・高校まで、中央線と京王井の頭線を乗り継いで通ったはずだが、彼女の曲では「中央フリーウェイ」は歌われても、「中央ライン」は登場しない(名曲「卒業写真」に歌われる「電車」が中央線である可能性は考えられるが)。ユーミンが若いころを振り返ったインタビューを読んでも、彼女の行動圏として六本木や横浜、あるいは東京西部の米軍基地は出てきても、中央線沿線はついに現れない。ユーミンにとって中央線沿線は「四畳半フォーク」の温床であり、彼女の歌の世界とは永久に交わることはなかったようだ。

 なお、前出の甲武鉄道は、1906年の鉄道国有法の公布にともない国有化され、同社の路線は国が建設を始めていた中央本線に組み込まれた。

 上京のイメージの希薄な中央線は、東京に住む人たちにとっては結局一ローカル線にすぎないようだ。その原点はやはり甲武鉄道の時代にまでさかのぼる。

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