「幾度となく繰り返される“沖縄の人”同士の争いなど、もう見たくない」「沖縄は動いているわけではない。いつまで経っても動かされているだけだ」

 基地被害の当事者である宜野湾市民は、「代理戦争」によって分断を強いられた揚げ句、選挙結果を「外部」から都合のいいように解釈されている。

 普天間返還が合意されたのは1996年。「普天間問題」の20年は、今年成人式を迎えた仲村の人生の軌跡と重なる。仲村には沖縄の人々が「もうみんな疲れ果ててしまっている」ように映るという。そして、「フィクション」として辺野古を扱った理由をこう語る。

「自分だからこそ伝えられる手法で描こうと考えたときに、物語としても楽しめる映画にしたいなと思いました」

 2010年の前作「やぎの冒険」で中学生映画監督として華々しいデビューを飾った仲村。実はその後、「もう映画を撮りたくない」と思う時期もあったという。14年に慶應義塾大学に進学するため、沖縄を離れたことが転機になった。

 6月23日は沖縄戦の犠牲者を追悼する「慰霊の日」だ。沖縄は公休日で島じゅうが鎮魂ムードに包まれる。しかし、関東で初めて迎えた平日の「6.23」に、「こんなにも違うのか」と衝撃を受けた。通学の電車で人身事故と遭遇し、いら立つ人々を横目に「慰霊の日だよ」と叫びたくなった。大学の友人からは「沖縄ってよく県民大会するね」とも言われた。「何度も開催する理由を考えてほしい」と思った。

 本土の人に「沖縄」を伝えたいと考えたとき、自分には映画がある、と不意に力が湧いた。

AERA  2016年2月15日号より抜粋