『月夜の森の梟(ふくろう)』 小池真理子 著
朝日新聞出版より発売中

「月夜の森の梟」は小池真理子さんが夫の藤田宜永さんを亡くされた「死別体験」がテーマのエッセイで、新聞連載中すみずみまで読んだ。それも二度ずつ。一年以上の週ごとのタイトルが新たになってこのたび一冊になった。連載中は次週が待ち遠しかった。長く生きていると死別体験はいやでも積もってくる。自分の体験と重ね、つらかったり悲しかったりだったが、いつも読後は不思議なやすらぎに包まれた。

 連載は六月に始まり、巡る季節に合わせてその時々の軽井沢の自然の状況、植物や動物に作者が目を留め、そこから思い出すことを語っている。
 例えば最初のエッセイは「高原では、今、ツツジの花が満開である」から始まる。近所の大きなツツジを見て作者は夫とのなにげない日常を思い出す。春は野鳥がよく囀る。梟の鳴き声がする。小池さんは梟について語る。「私の耳には『ほーほー』とは聞こえない。もっと複雑な、うまく擬音化できない、森の木霊のような声。月の光に満ちた森の奥に、梟の声だけが響きわたる」。それで思い出した。私も軽井沢に移住しはじめのころ、真っ暗ななかで背後の木立のあるあたりから「おい、おい」と男の人の呼ぶ声を聞いた。低音でやや太くてくぐもった感じがする。怖くて怖くて汗びっしょりになりながら、金縛りのまま明け方を待った。それが梟だと分かってどんなにホッとしたことか。

 仲むつまじいつがいの小鳥たち。キツネ、サル。生まれて死んで、横たわればだれかの空腹を満たす。野生にとって生と死は同時にあってあたりまえ。最後まで弱みを見せない彼らはときに潔く消えていく。おとぎ話ではないほんとうに森を歩いている野生動物が人間の死別の痛みに伴走してくれる。軽井沢在住30年を超える小池さんは藤田さんを亡くされた後も森の中に暮らしている。

 小池さんはエッセイを書くにあたって新聞に載せるぎりぎりまで待って、その時に感じたことを一番大切に書いたそうだ。書きためることはしなかった。連載は回を重ねるたびに日本全国の読者から怒濤のごとく手紙が舞い込んだ。読者それぞれの「死別体験」が百万人いたら百万通り違う。そこのところを一人一人が小池さんの文章から違った方向へ翼をひろげ、百万通りの手紙を書き綴ってきてくれたと聞いている。小池さんの文章からにじみ出る作家本来のやさしさが、この人になら話せるという気持ちをかきたてるのだろう。

次のページ