■ドキュメンタリー作家 森田惠子さん(66)

 ドキュメンタリー映画「まわる映写機 めぐる人生」を引っ提げて、全国で上映活動をしている森田惠子監督が映画の世界に足を踏み入れたのは、そんなに前のことではない。38歳のころ、以前から付き合いのあるドキュメンタリー作家の四宮(しのみや)鉄男監督に「編集助手をやってくれないか」と声をかけられた。

子育てをしながら近所の倉庫会社で事務をしていて、あと20年、この仕事を続けていくのかなと感じていたころでした。でもどうせ働き続けるなら、もう一回、わくわくする仕事をしてみたいと思ったんです」

森田惠子さん(撮影・藤井克郎)/映写技師の生き方に触れるドキュメンタリー「まわる映写機 めぐる人生」(c)森田森田惠子 
森田惠子さん(撮影・藤井克郎)/映写技師の生き方に触れるドキュメンタリー「まわる映写機 めぐる人生」(c)森田森田惠子 

 もともと映画は好きで、3~4歳のころ、野外上映会のボランティアをしていた父親についていって、大人たちが楽しそうに準備しているのを眺めていた記憶がある。高校卒業後は、人材情報会社のリクルートに就職。総務、営業を経て映像事業部に異動となり、そこで四宮監督と知り合った。

「リクルーティングの映像を16ミリで作ったりしていて、私はもっぱらお金の管理をしていました。でも四宮さんが現場に呼んでくれて、映像の仕事の面白さを知ったんです」

 だが結婚を機にリクルートを退職。30代後半から倉庫会社で働き始めたが、そんなときに四宮監督に誘われた。40の手習いでフィルム編集を一から学んでいくうち、撮り方も自然に身についていったという。

「手持ちカメラを駆使する方がいて、よく映像が揺れるんです。でもその揺れるところを切ってしまうと色気がなくなる。勉強になりました」

 そのころ、四宮監督が講師を務める映像制作のワークショップに参加する機会があった。友人たちに子育ての苦労を聞いて作品にしようとしたら、ついでに聞いた肩書についての質問の答えが面白く、「あなたの肩書きはなんですか?」(1990年)という初監督作を完成させる。

 このときに感じたのがカメラの力だった。カメラがあることで、普段は話さないようなことも率直に語ってくれた。

 やがて失語症、映画館、映写機と、興味の赴くままにカメラを向けていく。北海道浦河町の映画館「大黒座」の日常をとらえた「小さな町の小さな映画館」(2011年)は初めて劇場公開された。そのつながりで「旅する映写機」(13年)、「まわる映写機 めぐる人生」(18年)と、消えゆくフィルム映写の貴重な映像と証言を収めた。

「記録しておかないと残らないものと人なので、残せてよかった」と笑顔を見せる森田監督は、次は全く違った分野を対象に準備を進めているという。

「定年後に写真を始める人は多いが、今は動画のほうがハードルは低い。孫を撮るだけじゃなく、作品として撮るのって楽しいと思いますよ」と映画撮影の勧めを説いていた。

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