■シナリオ作家 小松與志子さん(68)

「宣戦布告」(2002年、石侍露堂[せじろどう]監督)などの映画に「そろばん侍 風の市兵衛」(18年、NHK)といったテレビドラマ、さらにラジオ、戯曲、ウェブシネマと、さまざまな媒体で活躍しているシナリオ作家の小松與志子(よしこ)さんがデビューしたのは、40代も半ばになってからだった。

「それまでは子育てなど家庭のことで精いっぱいでしたが、その経験はすべて役に立っています」と強調する。

 小松さんがシナリオの面白さに目覚めたのは高校生のときだった。近くの映画館で時代劇「上意討ち 拝領妻始末」(1967年、小林正樹監督)を見て感激した小松さんは、パンフレットのほかに脚本集が売られているのを見つける。面白そう、と購入して、初めて映画が脚本という土台があってできていることを知った。

小松與志子さん (撮影・掛祥葉子)/小松さんが脚本を手がけた昨年放送のNHKドラマ「そろばん侍 風の市兵衛」
小松與志子さん (撮影・掛祥葉子)/小松さんが脚本を手がけた昨年放送のNHKドラマ「そろばん侍 風の市兵衛」

「何度も何度も読み返しました。大学卒業後にシナリオ講座に通うようになって、橋本忍さんの脚本だとわかるんですが、脚本を基に演じられた映画を観て、主人公と同化したり、怒ったり泣いたりする。小説よりも強いインパクトがあって、私はこの世界を極めたいと思いました」

 26歳の決意だった。だが同時に、親からそろそろ結婚をと勧められ、家庭を持つことになる。結婚はしたいと思っていたし、シナリオの勉強は始めたばかりで、親を説得する力はなかった。

「子育てが一段落したら勉強を再開しようと思い、夫にも話しました。でも2人目の子が生まれたのが遅く、復帰するまで15年かかりましたね。その間、書きたい気持ちを忘れたことはありませんでした」

 下の子が小学校に入って水泳教室に通うことになったのを機に、近くのシナリオ講座に通い、一から勉強をし直した。やがて、脚本は演じてもらわなければ完成品ではないと気付く。作品にしてもらうにはプロを目指すしかない。こうして書きためたうちの一本「百年の橋」が95年、新人賞に当たる大伴昌司賞を受賞。翌96年にテレビ時代劇「八丁堀捕物ばなし」(フジテレビ系)の一編でデビューを飾った。

 その後、「宣戦布告」で初の映画脚本を手がけたほか、ラジオドラマでは2003年「カーン」、04年「奇跡の星」(いずれもNHKFM)と2年連続で芸術祭大賞を受賞するなど、高い評価を受けている。

 この10月には、7月に放送されたラジオドラマ「うつ病九段」(NHK FM)が芸術祭参加作品に選ばれたほか、シナリオ講座の講師の仕事も始まった。「人生経験を生かして書けばいいとアドバイスしています」と話す小松さんは、脚本家は何歳からでも挑戦できると指摘する。

「脚本という設計図を基にドラマが立ち上がる。その奇跡の瞬間に立ち会えるのは何物にも代えがたい喜びです」

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