開院時間前から診察を行う小鹿山さん
開院時間前から診察を行う小鹿山さん

「赤ひげ」とは、山本周五郎の時代小説『赤ひげ診療譚』の主人公。貧しい庶民を診療する小石川養生所の医師の別名だ。地域医療に貢献している医師を「赤ひげ大賞」で顕彰する日本医師会は「地域の医療現場で長年にわたり、健康を中心に地域住民の生活を支えている医師」と定める。

 小鹿山さんが後継者のいなかった馬場医院の3代目として郡山市から赴任したのは1999年。以来、足かけ25年にわたり地域の医療を支えてきた。原発事故の直後こそ一時避難したものの、東日本大震災の7日後には広野に戻り、避難所や仮設住宅で心細い思いをしている被災者のケアを行ってきた。

「広野の宝物ですよ」

 こう話すのは、地元ボランティア団体・NPO法人ハッピーロードネットの西本由美子理事長だ。

「震災前も今も変わらず、地域と一心同体で町の人たちに寄り添ってくださる。『先生がいらっしゃるから、(県内外の)避難所から戻ってきた』と話す方は大勢います」

 隣の楢葉町で飲食店を経営する男性も言う。

「深夜でも休日でも、電話すると病状に応じてすぐに来てくれます。救急車を頼むより素早いので本当に助かっています」

 広野町健康福祉課の鯨岡晋悟課長補佐は「馬場医院は内科から小児科、外科、脳神経外科まで幅広く対応しており、物腰が柔らかく親身に話を聞いてくれる小鹿山先生を頼りにされている町民は多いです」と話す。

 小鹿山さんは金沢市生まれ。県内屈指の名門校・金沢大学付属高校を卒業後、1浪して東京外大に進学。ドイツ語を専攻したが4年で中退し、佐賀医科大学(現佐賀大医学部)に入学した。脳神経外科を学び、卒業後、佐賀大学医学部付属病院などを経て郡山市の脳神経疾患研究所付属総合南東北病院に勤務。1999年に馬場医院を継いだ。

■体育館に泊まり診察する日々

 東日本大震災のことは今も鮮明に覚えている。

「当時、ウチは広野駅西口にありました。診察中にドスンと床下から突き上げるような縦揺れがあったかと思ったら、すぐに激しい横揺れがきて立つこともできません。直感で、とんでもない大地震だと思いましたね」

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