筆者が豊かでないと、小説の中に豊かさというものが出ることはありえない。随筆で書いていることも小説で描いていることも、全部同じ。全部池波さんなんですよ。
経験が本当の肥やしになっているから、苦労談なんてすることもない。ですから決して「これだけは言っておかないと」と大上段に構えることなどなく、書いておられる。
私は直木賞をいただいた年(2002年)に、池波さんのお宅にうかがう機会を得ました。
失礼ながら、サラリーマンでももうちょっとでかい家にいるぞ、というくらいの家でした。
玄関の戸を引いて入ると、すぐ左側が応接間。といっても4畳くらいで、調度品もない。古いソニーのトリニトロンのテレビとコケシが置いてあるだけ。賞をいただいた証しのようなものは、まったくありませんでした。自慢するものは一切出していない。池波さんの男としての美学ですね。ひけらかさない。
豊子夫人に、生の原稿も見せていただきました。全部手書きで、本当に読みやすい。書きながら楽しんでいたんだと感じました。豊子夫人に、「先生はひょっとして、原稿を書き上げますと最初に奥さんに読んでもらってませんでしたか?」と聞いたところ、ニコッて笑いました。うなずきはしませんけど、あの笑いは「そのとおりよ」ということだと思いました。
続けて「何か批判めいたこととか評価とかをおっしゃいましたか?」と聞いたら、豊子夫人の顔が、いきなり強張(こわば)りましたけど(笑)。
あの池波御大ですら、奥方に原稿を読んでもらっていたわけです。奥方の目を通すことが、安心材料だったんですね。実は私もやっぱり最初に読んでもらっています。
家の中を案内されてビックリしたのは、洗面所。池波さんがご健在だった時代の、最先端の一番いい洗面台だったと思います。ピッカピカで、そこだけ違うんですよ、色が。池波さんはやっぱり洒落者だったんですね。家を出る前に、ソフト帽を斜めにどうかしげるか、鏡で見てたんじゃないでしょうか。
住まいを拝見できたことで、私も一段ギアが上がったと感じています。
こうした生き方が全部凝縮された結果が、小説になっている。そう思って池波作品を読んでくれたらと思います。
(構成/本誌・菊地武顕)
やまもと・いちりき 作家。1948年生まれ。2002年、「あかね空」で直木賞を受賞。近刊に、『辰巳八景』(朝日文庫)、『湯どうふ牡丹雪 長兵衛天眼帳』(KADOKAWA)などがある
※週刊朝日 2023年2月3日号