「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」――時代小説の名手であり、「食卓の情景」などの食エッセーでも知られる池波正太郎氏が、今年1月25日で生誕100年を迎えた。作品の魅力について、池波氏のことを「勝手に人生の師と仰いでいる」という直木賞作家・山本一力さんが語る。

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 私の母は裁縫をしながら、毎月小説誌を読んでいました。それに「鬼平犯科帳」が載っていたんです。母は鬼平さんが好きで何べんも読み返し、全部頭の中に入っていて、私にこれこれこうだよと説明してくれるわけです。それで雑誌を見てみると、言っていたとおりに載っていましたね。

 それくらい母は鬼平さんが好きでしたが、私が池波さんの作品で最初に読んだのは「食卓の情景」。まだ私が旅行会社に勤めていたころです。会社の先輩に薦められて、数寄屋橋の旭屋書店さんで買いました。

──「食卓の情景」は、1972年から73年にかけて本誌に連載された食エッセー。書店そばの喫茶店で読み始めた一力さんは、無性に食べに行きたくなり、目黒のとんかつ屋「とんき」に向かった。

 有楽町駅まで駆けていき山手線に乗ったんです。でも時間が遅くて、残念ながらその日は既に閉店。絶対行きたいと思ったから、間をおかずに行きました。

「とんき」には名物おばさんがいて、この人は入り口で客の注文を全部聞いて、客がどこに座ろうが、順番までちゃんと覚えている。池波さんの書いておられたとおりに白い割烹着で、キャベツのお代わりをくれる。一気にこの店が好きになりましたし、池波さんという人に惹かれました。

 自分が物書きになってから、よくわかりました。池波さんは絶対、身銭を切っています。自分で銭を払って食ってみたらおいしかった店のことを書いている。「食卓の情景」に載っている店を何軒か食べに行って、そう気づきました。

 随筆を読んでのめり込んでいってから、鬼平さんに行ったわけです。たしかにすごい。鬼平さんと彼の部下たちのキャラクターにシンパシーを覚えました。補佐役、下の役人、さらにその下にいる元盗賊の連中。

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