人間の柔らかさが描かれているんですね。「剣客商売」でもそうですし、「仕掛人・梅安」の梅安さんと彦次郎さんとの組み合わせにも、それは感じます。人物それぞれが、太い。悪役も、驚くほど魅力があります。

──「鬼平犯科帳」の主人公・火付盗賊改方長官の長谷川平蔵は、正規の部下の他に元盗賊を密偵として使っている。「仕掛人・梅安」は、裏稼業として人を殺す梅安と彦次郎の二人の掛け合いが魅力だ。「剣客商売」の秋山小兵衛は粋な老剣客。良い面も悪い面も併せ持つ人間の姿が描かれている。ちなみに一力さんは息子に大治郎という名をつけたが、これは小兵衛のひとり息子の名を頂戴したものだ。

 鬼平さんの中で、昔、盗賊だったがゆえに、盗みをもう一回やりたくてうずうずする奴が出てきます。何かやりたいと思うだけでなく、実際に盗んでそれを戻す。鬼平さんはそれを見事に見抜くんですが、断罪するんではなしに「お前、次はないぞ」と言う。

 鬼平さんも、かつていろいろなことをやってきた。だからわかるんですよ、悪人のことが。

 鬼平さんですら裏もあるし、それをわざと露出することもある。人間には良い面もある、悪い面もあるというのは、池波さんが経験から得たことでしょう。ご自身が培ってきたものを、小説の中に昇華させているんです。

 随筆を読むと、池波さんは10代の前半で株屋さんの小僧として働いて、その年齢では得られないようなお金をもらっていた。それでおいしいものを食べに行ったわけです。資生堂パーラーに行った記述もありますが、店の方もよく少年を受け入れたと感心します。

──池波氏は1923(大正12)年、東京生まれ。小学校卒業後、奉公を経て株式仲買店で働いた。太平洋戦争が始まると、軍需工場で旋盤機械工として従事。戦後は東京都職員となった。60(昭和35)年、『錯乱』で直木賞。90年に亡くなるまで精力的に執筆した。

 池波さんは経験を積み重ね、多くのものを培いました。それが骨の髄まで蓄積されています。

 随筆の中でも時々書かれています。大きな声を出さなくても、やってきたことの積み重ねがあれば、言葉になるよ。今聞いたばかりの話をいかにもその言葉だけ口にしても、笑えるよ、と。

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