不眠が解消されるチャンスがないわけではない。何日も眠れなくて、死ぬんじゃないかと思った時に治ることはあるが、毎回そんな極限まで挑戦はしたくない。4時間しか寝ないという人がいるが、不眠だといっても、4時間ぐらいは眠っている時もあるが、4時間じゃ納得できないので、こういう人のマネはできない。ありとあらゆる不眠解消の本を読んだり、呪いのように寝具を変えたり何をしてもダメなものはダメだ。

 だけど、いつの間にか不眠が解消されて、6、7時間眠る期間が長く続くと、あの不眠が何だったのかわからない。今度は、老齢になると眠れないという人がいるが、僕はその反対で老齢になればなるほどよく眠るよ、とあの苦しい不眠のことを忘れて急にえらそうになってしまう。眠れる時は何故眠れるのかわからないくせに、眠れない時は何故眠れないかがよくわかる。といって不眠を解明すれば眠れるようになるかといえば、相変わらず眠れない時は眠れない。

 どうしても眠りたいのならひとつ方法がある。これは完璧な方法である。どんな強烈な不眠症もいっぺんに治る。それは死んだ時だ。死ぬことは肉体から意識が離脱することだから、肉体は死後の世界までついていかない。第一向こうでは肉体がないので永遠に起きている。つらいだろうと思うかも知れないが、肉体がないので眠る必要がなくなるのだ。と考えればこちら(現世)で死んだふりをすればいいということだ。虫や動物はみんな死んだふりをして外敵から身を守る。人間にとっての死んだふりとは結局眠りのことである。神秘主義の世界では人間は眠りと同時にその霊体は死後の世界に行くという。だけど不眠症の人間にとっては、残念ながら眠れないんだから死後もへったくれもない。

 眠れないというのは結局人間に脳があるからだ。脳はかしこいことを考えるためにあるのかも知れないが、逆に脳をアホにしてしまえば眠れるかも知れない。黒住教の教祖の宗忠さんはアホになる修行を一生かけてされたという。僕は絵を描く時はなるべく考えないで脳をアホにする訓練をしているのに、眠る時になると、なぜか脳がかしこくなる。実に脳は厄介な存在である。パスカルだか誰かが「人間は考える葦である」だと余計なことを言ってくれたものだ。「人間はアホになる葦である」ぐらいにしてくれれば人類から不眠症はなくなるというのに。

 あんなに頭のいい瀬戸内さんは「バタンQ」で眠ってしまうとおっしゃる。簡単にアホになられるようだ。僕は「バタン、PA」ですぐ目が開く。こんな文を書いた今晩はアホになりたいもんだ。まあ、よう知らんけど。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年12月9日号

著者プロフィールを見る
横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

横尾忠則の記事一覧はこちら