そんなタモリが「おじいちゃん」という関係性を打ち出しているのである。

「父」や「兄」に比べると「祖父」というのは無責任感を漂わせる続き柄である。「祖母」の持つ郷愁みたいなものも薄いし。そのあたりをふまえると、タモリは最近の「おじいちゃん」的司会者という境遇を、やぶさかではないとしているはずである。関係性を持たない「他人・通行人」的立場より、「おじいちゃん」的というのは、より規制がないのかもしれない。共演者との間でそのコンセンサスができている「笑っていいとも!」では、掛け値なしにタモリのプレッシャーはゼロである(ように見える)。「ミュージックステーション」も「ネタでナイトフィーバー!!」も、そういう対し方をしてくれる人(相手)さえいれば、いつでも「おじいちゃん」的司会モードに切り替えるんだろう。

 タモリには、たとえばビートたけしや明石家さんまに比べても、お笑いというもの自体に対する砦みたいなものがない。だから冒頭に挙げたセリフも、単なるギャグにしか聞こえない。だからどうだというわけではないが、「おじいちゃん」って、使いでのあるポジションだなあと思って。「老」とか「衰」に怯えなくていいからなあ。

週刊朝日  2022年8月19・26日合併号