2002年に逝去し、没後20年を迎えたコラムニスト・ナンシー関さん。テレビ界への的確な分析は評判だったが、本誌連載「小耳にはさもう」では、タモリさんにも言及。当時(246回 1998年1月30日号)の連載を再掲する。※敬称略。名前、肩書などは、当時のまま掲載しています

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「俺だってな、キャリアあるんだぞ。このベテラン崩し」

※タモリ発言 一月十三日 フジテレビ系「笑っていいとも!」にて ココリコら若手にちゃんと構ってもらえなかった状況に対して、ちょっとスネてみせる

 関口宏は、自分の司会する番組の中でいつでも「父親」(的存在)でいたいと思っているはずである。優しげで、でも優しいだけでなく厳格で、時々横暴なところも見せるが、最後には家族全員を正しく安全なところへ導く。前髪の白髪も納得の「父」ぶりなのかもしれない。

 だとしたら、同じく日本を代表する司会者であるタモリはどうであるのか。タモリは自分の番組の中で「おじいちゃん」になりたがっている。この「おじいちゃん」願望は、ここ最近でめっきり強くアピールされるようになったものでもある。

 もともとタモリは、少々偽悪的な自意識とともに「父親的」司会者は嫌悪していたのである。いや「父親的」だけでなく「兄貴的」とか「教師的」とかも嫌だったのだろう。多少の事情が存在することをこちら(視聴者)が察しているという部分はあるが、終始サングラスをしたままでこんなにメジャーになったタレントはいない(タモリのサングラスの正式な理由というのは、公にはっきりさせられていないはずである。この点も含めて稀なケースといえる)。このサングラスと関係あるのかもしれないが、タモリは「父・兄・教師」などの信頼が発生する関係性ではなく、あくまでも得体の知れない通りすがりの、もしくは近所に住んでるけど素性のわからない「他人」的司会者を標榜したがっていたと思う。非好感度を測るようなアンケートに名前を連ねることを嬉しそうに吹聴するのも、「不人気も人気のうち」ということとはまた別の、自分と世間とのかかわり合いの確認(自分の思いどおりにいっている)なのだろう。

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