人生の終わりにどんな本を読むか――。落語家、司会者、俳優の三遊亭はらしょうさんは、「最後の読書」に『さむがりやのサンタ』を選ぶという。

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 俺は物心ついた頃からサンタクロースはいると母に言われ続けてきた。毎年決まってクリスマスにその思い出たっぷりの絵本『さむがりやのサンタ』を身振り手振り読んでくれた。母曰く、そのサンタは俺の家にも来てるらしい。「一度も見たことない」「そらそうや、あんたは寝てるから」

 この時の事を大人になってから母に聞いたら、「口からでまかせや、でもあんたは信じてたなぁ」。そう確かに俺はそんな無茶な話も信じた。だって朝起きたら枕元に毎年毎年プレゼントが置いてあるんやもん。

 だが小学校に入ってから友達のN君が「サンタはいない、あれは親が変身しとるんや」。

 変装、ではなく変身という所が子供らしい。「金持ちはええもん貰って貧乏人は安いもんなんておかしい」。今思えば見事なコメントだ。グーの音も出ない。だがこの時の俺は勿論聞く耳など持たない。

 N君を母の前に連れて行った。「あら、N君はサンタはいないというのね、でもいるのよ、今から電話するからね」。無茶苦茶なアドリブで母は受話器を握った。「もしもしサンタさん、今大丈夫ですか?」。子供騙しとはこの事だがこの寸劇にN君は「いるんや!」とすっかり意見が変わった。俺はといえば「おかあさんとサンタさんは友達なんや!」と増々信じこの一件以来母が毎年電話をするのが恒例となった。だが小学校3年になった時の事、俺は「自転車が欲しい」と言った。高価なものだと分かった途端、母は受話器を握りながら「自転車ありますか、えっ!重くて持って行けない! まぁ残念」。そんなアホな! 今まで不信感を抱かなかった俺はこれをきっかけに「靴のまま家に入って来るのになんで足跡がないの?」。長年の疑問を一気にぶつけた。母は暫く黙ったあと自信満々にこう答えた。「新品の靴やねん、さらっぴん!」。そんな訳ないやろ!とは思わなかった。「やっぱりサンタはいるね」「そうやで」。母は再び受話器を握った。

 人生最後の読書は、母のことを思い出しながら、『さむがりやのサンタ』を読んでいる可能性は低くない。

週刊朝日  2022年3月25日号