ともかく、僕は中曽根に対して「こんな米国の無理難題をなぜ受け入れるのか」と問うた。そうしたら「田原さん、本当に悔しいけれども、日本は米国に守ってもらっている。安全保障を放棄しているためだ」と言った。

 だから、中曽根は(日本が自主的な憲法を持つように)憲法改正をしたいと言うんだね。これにはマスコミの多くが反対した。タカ派の中曽根が憲法改正なんて、とんでもないと。

 その後、小泉純一郎首相や安倍晋三首相も憲法を改正しようとするんだけど、みんなうまくいかなかった。

 改めて話を最初に戻すと、大平が国家として長期的なビジョンを構築しようとし、それを中曽根がそのまま引き継いで、日本は非常にうまくいったわけ。

 中曽根の風見鶏も、「この国にとってどうすればうまくいくか」ということを大事にしていた。風見鶏だから、これがいいと思ったことをやる。その点では評価している。自分の権力を維持するだけの日和見的な、風見鶏ではない。自民党からなった歴代首相は、私利私欲なんてほとんどないと思う。

 今の岸田文雄首相も、大平のいた宏池会の系譜を引き継ぐリーダーだ。僕は岸田首相に対し「大平構想をちゃんと勉強してやれよ」と言った。「宏池会だから、しっかりやれよ」とね。(構成/週刊朝日編集部)

第68、69代 大平正芳(おおひら・まさよし)/1910年、香川県生まれ。大蔵官僚を経て、52年に旧香川2区から出馬し初当選。池田勇人の側近として、池田内閣で官房長官、外相を歴任。田中角栄内閣時代には外相として日中国交正常化に貢献し、78年に首相に就任。米ソ冷戦下で、モスクワ五輪ボイコットを決定するなど、対米協調路線への転換を打ち出した。80年、首相在任中に心不全で死去。

第71、72、73代 中曽根康弘(なかそね・やすひろ)/1918年、群馬県生まれ。47年に旧群馬3区から出馬、初当選。運輸相、防衛庁長官、通産相などを歴任し、82年に首相に就任。国鉄や電電公社、専売公社などの民営化を進め、85年のプラザ合意から内需拡大への方針転換はバブル景気の要因となった。外交では、レーガン米大統領と「ロン・ヤス」の友情関係を築くなど日米関係を強化。約5年に及ぶ長期政権を築いた。

※次回は1月28日号、竹下登です

週刊朝日  2022年1月7・14日合併号