(週刊朝日2022年1月7・14日合併号より)
(週刊朝日2022年1月7・14日合併号より)

 この国をどうするか。その構想をまとめようとした。けれども、構想を打ち上げたところで大平は亡くなる。

 こうしたブレーンたちをそのまま登用し、大平構想を実現したのが“風見鶏”と呼ばれた首相、中曽根康弘だった。彼はこれで大成功した。

 大平が自民党内で率いたのは宏池会(宏池政策研究会)ね。いわゆるハト派の派閥。これに対して中曽根はタカ派で正反対。でも彼はとても頭がいいから、独特の政治感覚と柔軟さで、大平が集めたメンバーによって構想を実現しようとした。

 実は僕は、中曽根が自民党総裁選に立候補した時から当選するまでずっと、月刊誌でインタビューをしていた。

 首相となって、もともと考えが違う大平構想の件もあったので、こう問い詰めた。「あんたは風見鶏だ。そんなのでいいのか」

 すると中曽根は「風も見ないで飛んだら危険極まりない。風見鶏だから安全なんだ」と言うんだね。「世界の大物政治家は全員、風見鶏だ」と。

 さらに彼は首相時代、田中派の連中を何人も大臣にした。その典型が、官房長官だった後藤田正晴。田中派の中心人物でもあり、マスコミから当時、「田中曽根内閣」と書き立てられた。

「何で田中派の後藤田を官房長官にしたのか。田中曽根内閣とも呼ばれてるぞ」。僕が中曽根本人に聞くと、苦笑してこう答えた。

「いやぁ実は……僕はどちらかと言うとタカ派だが、後藤田は超ハト派だから」

 もちろん、優秀な官僚出身で国際感覚にも優れ、力があると考えたんだけど、超ハト派だったところが大きかった。

◆超ハト官房長官登用でバランス

 後藤田にも戦争体験があって、僕も何度も会っていた。例えば、先の大戦によって沖縄では多くの県民が命を落とした。「自分たちのために沖縄が犠牲になった。沖縄の人たちに合わせる顔がない」。後藤田はこんな風に心を痛め、ほとんど沖縄に行かなかったそうだ。

 だから、超ハト派。87年にイラン・イラク戦争で敷設されたペルシャ湾での機雷の除去が問題となった。中曽根が自衛隊の掃海艇を派遣したい意向を示すと、後藤田が“断固反対”した。中曽根は自分と正反対の考えを持つ官房長官によって、バランスを保ったんだね。

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