◆「天皇の権威」は国民主権補うか

 一つの説明は、「国民主権を邪魔しないように天皇の歴史的権威を封じ込めるためだ」という消極的な説明だ。

 もしも憲法に天皇制の定めがなければ、天皇家は単なる民間団体の一つにすぎなくなる。天皇家の家長つまり「自称天皇」を決めて、「自称天皇を党首とする政党」を作ったり、選挙の候補者に「自称天皇の公認」を出したりしても、憲法や法律では制限できない。

 しかし、自称とは言え、天皇は強い権威を発揮する可能性がある。これでは、国民主権に基づく統治がかく乱される危険があろう。

 そこで、憲法に天皇制を定め、天皇の行為に内閣の助言と承認を必要とすることで、コントロールする。そうすれば、天皇の権威は内閣と、それを信任する国会によって封じ込められる。

 この説明からすれば、「天皇家の品位」を気にする必要はない。跡継ぎがいなくなり、自然消滅しても特に問題はない。国事行為の代行だけを担保すればよい。

 第二の説明は、「国民主権で足りない部分があるから、天皇の権威で正統性を補完している」というもの。これは、天皇制を積極的に活用しようとする説明だ。

 国民の多数派やその代表が何かを決定したとしても、「それは正しくない」と感じる人は当然でてくる。ただ、天皇が国事行為を行うことで、「天皇陛下が行ったことなのだから」という形で納得する人もいるだろう。

 天皇制にこうした積極的機能を見出す見解は、天皇に対して、国民の尊敬を集め、権威を維持するふるまいを天皇に求める。その延長として、皇族の婚姻相手にも品位を求めることになる。

 この説明は、「国民主権は正統性調達原理として頼りない」という判断を前提にしている。したがって、天皇の不在は統治の危機であり、天皇制存続に全力を尽くさねばならない。また、存続方法は天皇の権威を維持するにふさわしい方法でなければならない。

 国民はいずれの説明をとるだろうか。ここをはっきりさせなければ、混迷は続くだろう。

週刊朝日  2022年1月7・14日合併号