渡辺徹 (撮影/写真部・加藤夏子)
渡辺徹 (撮影/写真部・加藤夏子)

 今年、俳優生活40周年を迎えた渡辺徹さん。家族で朗読劇に挑戦し、上京当時の“演出家になりたい”という情熱に立ち戻った。来年は、文学座の大先輩も出演した舞台で芝居の“原点”を見つめ直す。

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最初に志したのは、“演出家”だった。高校時代、地元の古河市にあったアマチュア劇団を手伝ったとき、和気藹々(あいあい)としている雰囲気に惹かれ、演劇に興味を持った。

「劇団の主宰者に『将来は芝居がやりたい』と相談すると、『どうせやるならトップを目指せ』と、東京に文学座という劇団があることを教えられた。調べてみると、劇団員には有名俳優の名がずらりと並んでいて、“演劇界の東大”と呼ばれていることがわかりました」

「赤本」のような、過去の問題を集めた受験本が書店で売られ、文学座を受けるための予備校まであった。

「最初、『作るなら当然、演出家だろう』と思って演出部の問題集を見たらチンプンカンプン。『チェーホフって何? お菓子の名前?』といった有り様でした(苦笑)。芝居に関する知識は全くないし、論文を書くなんて無理だと思い、演技部なら実技がほとんどだから、消去法で言ったらこっちしかない、と」

 1次試験会場は、四谷の上智大学。受験者数2300人のうち、60人が合格するが、それも研究生として1年学んだ後は、10人に絞られる。そこからもさらに“研修科生”として2年間。毎年、最終的に劇団員になれるのは1人か2人だった。

「家族は反対してましたよ。『そんな不確かな仕事』って。ウチは親父が演歌師っていって、流しのアコーディオン奏者だったんです。盛り場で歌って生計を立てていたので、なおさら、息子には安定した仕事をしてほしいと思っていたんでしょう。でも、因果というか、そこから三十何年経って長男から『芝居をやる』って言われたときは、反対できなかったです。まるで昔の自分を見ているようで……」

 茨城には戻れない。背水の陣で挑んだ試験には無事合格し、1年間、毎日授業を受けた。ジャズダンスに声楽にクラシック音楽にバレエに所作に演劇論……。洋の東西の古典を学び、年に3回ほど発表会もあった。

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