ポップで力強く独創的な絵は決して暗くなく、しかし心の奥深いところを描き出す。

「納得のいく線が描けず、一本の線に30分、1時間かかることもありました。気持ちが高ぶると血圧が下がってめまいや吐き気が起こるため、15分描いて15分休むことの繰り返しでした」

 それでも楽しかった、と滝川さんは快活に話す。

「絵本を描くことはお芝居と似ている。お芝居もアートの世界にも正解・不正解はない。自分の感じたままを表現して、見る方も自由に受け取っていい。僕はやっぱりそういう世界が好きなのだと思います」

 創作中、事故のことを振り返るのはつらくなかったのだろうか。

「もう慣れました。基本的に前向きな性格ですし、それに前向きにならざるを得ないんです。いまも声は出るようになったけれど、肺活量は5分の1くらいになり、大きい声は出せないし、長く声が続かない。リハビリでは肉体的にこれ以上よい方向に向上することはなさそうです。それでもいまの体に慣れていくしかない。それに重度の障がいを持っていても、こうしてコミュニケーションはとれますしね」

 支えてくれる家族と周囲に感謝しながら、少しずつ前に進んできた。19年にパラスポーツを紹介するテレビ番組のMCに抜擢されたことも大きな転機になった。「ボッチャ」の名はパラスポーツから取られている。

「パラアスリートたちはスポーツに人生をかけている。彼らの目の輝きや笑顔、同じ障がいがあってもそれを感じさせない姿に衝撃を受けました。僕も何か目標になるものを見つけて前に進みたい、と思ったんです」

 コロナ禍で開催された東京パラリンピックには複雑な思いもあったが、「でもやっぱり世の中が多様性や障がい者に対して少しでも考えるきっかけにはなると感じます。障がいのある僕たちがスポーツだけじゃなく、さまざまな活動に取り組もうとする、その姿が多様性や調和につながればいい」

 一方で弱者を排除する思想がSNSにあふれる現状も理解している。

次のページ