七之助:祖父の映像を見て学び、祖父の袖萩を取り入れていますが、今回は初役ということもあり、福助のおじに教わりました。歌舞伎には「100回見た人より1回(役を)やった人に聞きなさい」という口伝があります。(役は)見ただけではわからない。父も歌右衛門のおじさまに「映像で見ても裾の中は見えないだろ」と言われたと言っていましたが、歌舞伎では「裾の中がどうなっているか見せてやるよ」ということを教わることがすごく大切なんです。

――「連獅子」は歌舞伎の代表的な作品であり、人気舞踊の一つ。中村屋にとっても十七世から十八世勘三郎が築き上げ、十八世から勘九郎・七之助兄弟へ繋(つな)がれてきた大切な演目だ。今回は勘九郎と長男の勘太郎が初の親子共演を果たし、芸を繋ぐ。勘太郎が9歳でひと月の公演で仔獅子を勤めるのは、最年少という。

勘九郎:中村屋の「連獅子」の特徴はまず祖父。十七代目中村勘三郎という人は、お客様に“魔法の粉”をかける魔法使いなんだと、父がよく言っていました。親獅子が仔獅子に見せる感情と、父親が息子に見せる愛情と、うまいバランスでお客様を惑わせる。それが祖父と父という親子で演じている感動を呼び覚まし、感動的な作品になった。化け物みたいな踊りの天才が親獅子、型の美しさを追求し続ける男が仔獅子で火の玉のように踊ったのだから伝説の舞台になりますよね。祖父が作り上げた連獅子が伝説になったから僕たちにも繋がった。

七之助:お兄さんが最初に仔獅子を踊ったのはいつでしたっけ?

勘九郎:10歳。お父さんがうれしそうだったね。でも、それからは地獄。父には仔獅子のプライドがあるので、「こんなのは俺が作り上げてきた仔獅子ではない!」ってまぁ怒られました(笑)。少しでも親獅子より先に動こうものなら目も見てくれない、手も触れてくれない。違う間で足は踏まれ、「何やってんだよっ!!」って口には出さなくても、本舞台のところから花道に向けた、あの目は忘れられない。どうですか、七之助さんは。

七之助:死ぬ思いでしたよ。10歳ごろでしょう。食事も食べられなくなって。つらいの一言ですね。それに、歌舞伎座は大きい。当時は歩幅も狭いから、舞台の定位置に行くまでも大変でした。今でもつらいのだから、当時はその倍はつらい。

勘九郎:そうだね。

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